2007年9月24日月曜日

Red Dragonfly

赤蜻蛉は英語では“レッドドラゴンフライ”(Red Dragonfly)だ。
物々しいのかかわいらしいのか、どちらなんだろう。

赤蜻蛉といえば加賀千代女の句に、「赤蜻蛉、今日はどこまで行ったやら」と言うのがあると勝手に思い込んでいたら、出だしはどうも「蜻蛉取り」であるらしい。子供を亡くしたときに読んだと言う解説があったような気がする。

今年の夏は短く激しい暑さだった。年寄りの猫たちには堪えたのだろう。年寄りでなくても、路上で生活する猫には耐えられない暑さだった。たくさんの猫が亡くなっただろう。十八年と二十日、暮らした私の猫も逝った。赤蜻蛉が、珍しくたくさん飛んでいた。


そこで一句。

逝く夏を惜しんで帰らぬ猫を待つ


遊びほうけてまだ帰って来ないだけだ、と思えば、少しは悲しさが和らぐような気がする。

2007年9月19日水曜日

百年の信頼――イラン・イラク戦争の陰に

1985年、イラクの大統領サダム・フセインはイラン・イラク戦争の長期化にしびれをきらし、「3月20日午後2時(日本時間)」をタイムリミットとして、これ以降テヘラン上空を飛ぶ航空機は、“軍用機であろうと民間航空機であろうと、いかなる国の機体であろうと、すべて撃墜する」と布告。


テヘランから、ドイツ人やイタリア人は自国の航空会社の臨時便で退去していくが、どこの航空機も自国民優先で、事前に国外脱出できなかった日本人がおよそ200人、期限を目前に空港ロビーに取り残された。


日本の外務省は日本航空に緊急の救援機派遣を求めたが、「帰路の安全が保証されていない」と断られた。当時駐トルコ大使だった野村氏が、日頃から親交のあったトルコの駐イラン大使、ビルレル氏に窮状を訴えたところ、大使の要請を受けたトルコ航空は2機の航空機をテヘランのメヘラバード空港へ飛ばし、215名の日本人全員を乗せて、タイムリミットぎりぎりにトルコ領空へとって返した、という。


ビルレル大使は野村大使に対して、「エルトゥールル号遭難の際の恩返しだ」と言ったそうだ。
(以上日本とトルコの民間友好史より)


が、「エルトゥールル号」のことを知っている日本人はほとんどいないかもしれない。


話は約100年前にさかのぼる。ともに列強との不平等条約に苦しんでいたオスマン・トルコと明治政府は、平等条約締結を促進すべく、1890年、エミン・オスマン海軍少将を団長とする使節団が来日したが、彼らの乗船していたエルツゥールル号は帰途、和歌山県串本町大島樫野崎沖で座礁したのだ。

これは587人が殉職する大海難事故で、生存者はわずか69人。大島島民は不眠不休で救助に当たり、生存者の救出などにあたったという。

また、日本全国から義金や物資が寄せられ、治療を終えた生存者は日本海軍の軍艦で無事トルコのイスタンブールに帰った。この話はトルコでは教科書に掲載されるほど有名だそうだ。
(以上は串本町ホームページ、トルコとの交流より)


長くなったが、話の骨子は、一度確立された信頼は、時によってすごい威力を発揮する、ということだ。
というわけで、日本発の多国語ショッピングサイト「Youbuy」の創設メンバーは、トルコの方である。
トルコ IT 業界では有名なアイハン・ベルメク氏も取締役に名を連ねている。エルトゥールル号の話もイラン・イラク戦争の話も、運営会社のE-BUYの報道資料にあった。
(http://japan.internet.com/ecnews/20070914/4.html)

2007年9月17日月曜日

2001年9月11日

夜の11時ころ、たまたまCNNのニュースを見ていた。
大きなビルに飛行機が突っ込む映像が流れてびっくりした。
アメリカの友人にそのことをメールで伝えたが、
それで初めて彼らは貿易センタービルの惨事を知ったそうだ。

今はカリフォルニアに住んでいるが、
夫婦ともにニューヨーク育ちで、なじみの深いビルだったそうだ。

奥さんのほうがそのことをブログに書いていた。




I grew up there. I was a small child when the Towers were being built. I remember seeing the scaffolding and huge cranes. I worked in Tower Two for a short time while in school, ate at Windows on the World, shopped in the Concourse.

I took my younger son to school that day and one of the other mother's was the wife of a CHP officer. Her husband had been called in to work as they had been put on high alert. That was the first time I heard what had happened.

I salute all who ran up the stairs while so many ran down. They gave the greatest gift of all.