2007年9月19日水曜日

百年の信頼――イラン・イラク戦争の陰に

1985年、イラクの大統領サダム・フセインはイラン・イラク戦争の長期化にしびれをきらし、「3月20日午後2時(日本時間)」をタイムリミットとして、これ以降テヘラン上空を飛ぶ航空機は、“軍用機であろうと民間航空機であろうと、いかなる国の機体であろうと、すべて撃墜する」と布告。


テヘランから、ドイツ人やイタリア人は自国の航空会社の臨時便で退去していくが、どこの航空機も自国民優先で、事前に国外脱出できなかった日本人がおよそ200人、期限を目前に空港ロビーに取り残された。


日本の外務省は日本航空に緊急の救援機派遣を求めたが、「帰路の安全が保証されていない」と断られた。当時駐トルコ大使だった野村氏が、日頃から親交のあったトルコの駐イラン大使、ビルレル氏に窮状を訴えたところ、大使の要請を受けたトルコ航空は2機の航空機をテヘランのメヘラバード空港へ飛ばし、215名の日本人全員を乗せて、タイムリミットぎりぎりにトルコ領空へとって返した、という。


ビルレル大使は野村大使に対して、「エルトゥールル号遭難の際の恩返しだ」と言ったそうだ。
(以上日本とトルコの民間友好史より)


が、「エルトゥールル号」のことを知っている日本人はほとんどいないかもしれない。


話は約100年前にさかのぼる。ともに列強との不平等条約に苦しんでいたオスマン・トルコと明治政府は、平等条約締結を促進すべく、1890年、エミン・オスマン海軍少将を団長とする使節団が来日したが、彼らの乗船していたエルツゥールル号は帰途、和歌山県串本町大島樫野崎沖で座礁したのだ。

これは587人が殉職する大海難事故で、生存者はわずか69人。大島島民は不眠不休で救助に当たり、生存者の救出などにあたったという。

また、日本全国から義金や物資が寄せられ、治療を終えた生存者は日本海軍の軍艦で無事トルコのイスタンブールに帰った。この話はトルコでは教科書に掲載されるほど有名だそうだ。
(以上は串本町ホームページ、トルコとの交流より)


長くなったが、話の骨子は、一度確立された信頼は、時によってすごい威力を発揮する、ということだ。
というわけで、日本発の多国語ショッピングサイト「Youbuy」の創設メンバーは、トルコの方である。
トルコ IT 業界では有名なアイハン・ベルメク氏も取締役に名を連ねている。エルトゥールル号の話もイラン・イラク戦争の話も、運営会社のE-BUYの報道資料にあった。
(http://japan.internet.com/ecnews/20070914/4.html)

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