2008年12月21日日曜日

歯痛の文学

最近また、歯医者通いをする羽目になった。

治療用の椅子に仰向けになって、つい、思い出してしまうのは、ギュンター・グラスの『局部麻酔をかけられて』(原題Örtlich betäubt)だ。

学生時代、ドイツ文学の演習でやった。小説の主人公も歯医者の椅子に横たわり、局部麻酔をかけられて治療を受けるのだが、その間、あれこれ断片的に考える、という内容だ。

もうひとつ、思い出すのはトーマス・マンの『ブッデンブローグ家の人々』だ。代々落ちぶれていき、最後の当主は、虫歯の治療中に敗血症になり、ものすごい痛みとともに死ぬ。怖いなあ。

2008年12月7日日曜日

“考える”ということの害悪

小さいころから、しょっちゅう言われなかっただろうか。

「よく考えて」
「1たす1は何? よく考えて」

1+1が2であるのは、考えても出てくるものではない。それは教わって初めて憶えるルールだ。その次に1+2を憶えて、世界地図のそれぞれの国の位置を憶えて、漢字を憶えて…。

ルールが悪いというのではない。この世で生き延びるには必要な情報だからだ。

だが、「よく考えて」ということには害悪がある。「どうして怒られたのかよく考えて」と言われて、教師や母親の機嫌の悪かった理由、友達から仲間はずれにされた理由など、わかるはずがない。でも、よく考えた結果、他人の顔色を必要以上にうかがうことになったり、その理由をあれこれ考えて、夜眠れなかったり…。

これは大人になっても続く。

上司に嫌われた理由、親が病気になった理由、年取っていく理由、考える必要はない。考えるだけ時間の無駄だ。それは自分の解決できない事柄だし。

よく考える必要ななかったのだ。怒られたのなら、同じことを二回しなければいい。同じことを違うようにみせればいいだけだったのだ。“考える”が重要ではなく、“行動”が重要だったのだ。

2008年11月16日日曜日

Second Life で Second Date


しました。

今回は少しなれたので、ゆっくり話ができた。記念写真も撮った。

しばらく来ない間に、長屋もだいぶ変わったみたいだ。以前この辺で鳴いていた黒猫さんが見当たらない。どこかに移動したのだろうか。相変わらずあまり人はいない。

1時間ほど話して、また来週ここで会うことにした。辺りを見回しながら、キーボードを打ちながらチャットするのはちょっと疲れるかも。

2008年11月8日土曜日

プロダクト・プレイスメント――Cisco Systems の場合

大規模システム向けのネットワーク機器メーカーであるが、先日、ケーブルテレビの SciFi チャンネルを見ていたら、「ユーリカ」というドラマの中で、Cisco Systems のロゴが出てきた。メインコンピュータのログイン画面だ。

こういうのもプロダクト・プレイスメントというのだろうか。確かに、ルータとかスイッチを出しても、わかりにくい、いやほとんどこの会社の製品だとは、一般人にはわからないね。だからと言って、ロゴを出して、どういう効果を狙っているのだろうか。

たとえば、システムエンジニアとか、その上で指示を出している IT 部門の偉い人が、たまたま、暇な休日に、たまたまケーブルテレビの SF チックなドラマを見ていて、Cisco のロゴにはっと気づき、「そろそろネットワーク機器をここに替えようか」と思うのだろうか…。

プロダクト・プレイスメントといえば、ドラマや映画でよく見るのは、Apple のコンピュータ、Sony のビデオカメラ、トヨタの車、スターバックス、などなど。Windows マシンにはあまり、というか、ほとんどお目にかからない。それでも売れている、というのは、すごいことなんでしょうね。

そういえば、映画の『ジェラシックパーク』には、今は亡き(日本にはまだありますが)SGI の UNIX マシンが出てきた。

2008年11月2日日曜日

Second Life でデート

した。

デートの相手は、十年来のリアルな世界での友人で、いつもは地味にオンラインチャットで四方山話をしているだけですが、サンフランシスコのリンデンラボで騒ぎが勃発、とあって、二人で取材しようと思ったのだ。

でも、半年以上も接続していなかったので、新しいバージョンのビューアのインストールに時間がかかり、おまけに、使っているマシンがそれほどの性能がないせいか、異常にとろい。

どうやって移動するんだっけ、どうやって、友人と落ち合うべし、と右往左往している間に時間がどんどん過ぎ、やっと会えたと思ったら、相手がほぼセミヌード!!

これはちょっとどうかと思う。いくらこちらのマシンのスペックが低いとは言っても、サービス的に問題ありだ。友人はアメリカ人なので、訴えてやる、といきまいていた。

デートの最後のほうは、私のアバターが、上着を脱いだらしく、こちらもセミヌード状態。取材どころではなく、方法の体でログアウトしてしまった。

やっぱり Second Life、まだ早すぎるのかもね。

2008年10月26日日曜日

晴れた日はバスに乗って

街を眺めると楽しい。

新宿エルタワー前からパークタワーまでを往復している、天然ガス使用の無料バスは、小さくてかわいい。のんびりと新宿の都庁とか新宿公園とか、舗道の樹木とかを眺めながら、明るい日差しを浴びていると、あっという間に目的地についてしまう。

もっと乗っていたいと思ったら、帰りにも乗ればいいしね。

2008年10月19日日曜日

猫の目線

猫の目線で見た世界は、どういうものだろう。

というわけで、ミスターリー(猫)が首にカメラを提げて、歩いて、その映像を、われわれ人間に見せてくれる。

不思議な世界だ。

2008年10月12日日曜日

BeBe さんへのお悔やみ状

友人宅のブラジルボア、蛇の Baby Boa さんがお亡くなりになったそうだ。41歳という長寿である。通常は20歳から30歳の寿命だと言う。

息子さんの話によると、気温の下がった日で、自然に平和に体の機能をシャットダウンさせることができ、安らかな臨終だった。

通称 BeBe さんは友人の奥さんの古い友人で、物心ついたときからこれまでのほぼ全人生をともに過ごしてきたといってもいい蛇、とのことで、さぞや悲しみも深いことだろうと思う。

そこで、友人は Wiki の「Boa Constrictor」に BeBe さんについて、書き込みをした。

こういう Wikipedia の使い方もあるのだと、感心した。

ペットを亡くすというのは、飼い主にとっては非常に悲しい衝撃だが、最後の最後までともに過ごし、愛したということは、貴重な体験だ。この世界の造物主に対して、わずかでも貢献できたという気持ちが生まれるような気がする。

2008年10月5日日曜日

楽しいファイル転送

いつもいつも、メールにファイルを添付して送るのに飽きたら…。宅ファイル便も面倒だと思ったら…。

FilePhile というのがある。無料で特定の人に(というか特定のコンピュータに)直接ファイルを転送できる。

サイトによると、2008年3月に公表以来、1849.7GBを転送したそうだ。

ユーザーズガイドも面白くて、使い方もわかりやすいし、ファイルを転送するときは、相手(もちろんこのプログラムに参加しているユーザーでないとだめだけれど)をリストに追加し、そこにファイルをドロップするだけだ。

2008年9月21日日曜日

真実という多面体――マイケル・ミルケン氏

マイケル・ミルケン氏といえば、1980年代の米国で起きた、証券詐欺の首謀者として有名だが、『世界を変えるビジネス』にも、登場する。ここには、ジャンクボンドで巨万の富を得た“ジャンクボンドの帝王”のもうひとつの側面が、あるいは、側面のうちのひとつが明らかになる。

共同で立ち上げたミルケン・ファミリー財団は、スラム街の問題解決、がん治療などに資金を提供しているし、その後立ち上げた前立腺がん財団は、この研究に資金を提供する最大の民間財団だ。

証券詐欺を取り扱った本しか読んでいない読者にとっては、ミルケン氏はとんでもない悪党、ということになる。

世の中には、こういうことが、多分たくさんあるのだろうと思う。人には多くの側面がある。あるいは多くの側面を持つ人もいる。ひとつの方向のみを扱った情報を得たときは、それ以外の方向も見たほうがいい、ということだろうか。

「金融資本の国際的な民主化」は、彼が生涯をかけて取り組む決意をしたテーマだ、ともある。

2008年9月15日月曜日

巨人の遊ぶ庭

顧客管理ソフトウェア会社 salesforce.com を創業した Marc Beniof さんは、まぎれもないIT業界の巨人だ、と思う。その風貌はジャックと豆の木に出てくる鬼のようだが、ビジネスパートナーや従業員、企業を取り巻く社会を大切にする姿勢は、久しくこの業界では目にすることのなかった貴重なものだ。

もっとも、表面に出てこなかっただけで、それぞれの企業は、それなりに努力していたのだろう。

最近翻訳が出版された『世界を変えるビジネス』では、Marc Beniof さん自身が著者の一人として、企業の社会貢献活動を紹介している。

しかし、Marc Beniof さんには、まだまだエネルギーがありあまっているような気がする。あるいは、善良な企業家、社会改良家、というピース以外に、発見されていないピースがたくさんあるジグゾーパズルのようだ。

2008年9月6日土曜日

新しいブラウザって必要だったの?

Firefox3 で十分満足していたし、仕方のないときは IE を使えばいいし、それでもだめなら、Opera があるさ、という感じだったが、Google が新しいブラウザを出したので、ちょっと不思議。

とってもシンプルで、シンプルすぎて使い方がよくわかりません。Firefox からのブックマークのインポートも不完全で、こっちで Firefox を開き、URL をコピーして、Google Chrome に貼り付けている。

もう少し使い込めば、便利になるのかなあ。

インターフェイスはちょっと Opera 風に、よく使うサイトのサムネイルが並んでいる。

ところで、このブラウザ、アンドロイド向け?

2008年8月31日日曜日

コンピュータネットワークと民主主義

世界政府ができるとしたら、そのシステムを作るのはわれわれだ、と Google が言ったとか言わないとか。

ありそうな話だ。

インターネットが当たり前になる以前の世界では、多数決で決める、これが民主主義だ、と言われても、ぴんとこなかったが、今なら納得できる。コンピュータネットワークによる多数決は、まったく、容赦のない民主主義だ。いい面も悪い面も、容赦がない。都合のいいものも悪いものも、情報はすぐ世界中に広まる。隠しようがない。

しかし、ちょっと考えてみる。本当にそうなのだろうか。誰かにとって都合の悪い情報を、誰かが明らかにしたとする。両者が持っている技術力、人的資源、などなどに差があった場合、パワーのあるほうがないほうを圧殺するのはいともたやすいのでは?

とすると、世界はそれほど以前と変わっていないわけだ。ただスピードが速くなっただけ。

2008年8月24日日曜日

そろそろソックスのほしい季節、iPhone 3G 用足袋

エキゾチックなガジェットケース、なんでしょうね、米国では。

着物のはぎれでできた iPhone 3G 用足袋。十種類のデザインあり。

最近 iPhone 関連ガジェットに夢中の友人が教えてくれた。

日本の方が先行しているはずだった携帯電話関連分野、こういうのを見ていると、ちょっとやばいかな、と思ったりする。ケースごときでおたおたしても始まらないが、いつも使うガジェットであるので、マニアしか使わない高機能、多機能より、普通の人が、わかりやすく使いやすいほうが勝ちだ。もちろん、おしゃれなケースもたくさんあったほうがいい。

2008年8月17日日曜日

夏休みの収穫

ちょっとまとまった夏休みがとれたので、初日に近所の図書館に駆け込んだ。

目当ては気の張らない三文翻訳ミステリだ。くたびれた文庫の本棚の二三百の本の前でしばし、呆然とする。が、たいていは五六年かけて読んだものばかり。すでに読んだ本でも、読んだことがあるのを忘れて借り、失望することが多いので、要注意。本を選んでいると、終いには頭痛と腹痛に襲われる。

結局六冊を選んだ。

キャロリン・G・ハート『死の散歩道』:昔読んだような気がするが、ほとんど忘れているので、読書に影響なし。単なる暇つぶし。
キャロリン・G・ハート『手紙と秘密』:まあまあ。単なる暇つぶし。
クレイグ・スミス『レディ・スティンガー』:クレイグ・ライスと間違えた。が面白かった。ウエットでないのがいい。
ジョージ・ハラ『悩み多き哲学者の災難』:インテリぶったところが、ちょっといやみ。まあ面白い。
I・マキューアン『愛の続き』:面白くなさそうだったので、最後に回したが、やっぱり面白くなかった。気取りすぎ。

とっても面白かったのは、ケン・ブルーウン『酔いどれに悪人なし』だ。

夏休みの収穫はこれだ。勝手に事件が起きて、勝手に進行し、勝手に解決されちゃう。元警官の私立探偵がアル中を克服する。さまざまな本からのたくさんの引用。たっぷりのユーモア、悪人が死に、善人も死に、残された探偵は長年の夢だったロンドンに行く。

2008年8月12日火曜日

マーケティングマシン

Apple のマーケティングマシンは今でも、有効に動いているようだ。

価格競争よりも、使いやすさとユーザーの自尊心をくすぐる美しいデザインで勝負する、というのが、要だろうか。IBM Intel 互換 PC(時代を感じるほど古臭い言い回しになってしまったが)が、単なる職場の備品になってしまった現在、ますます Mac ユーザーは、自尊心をくすぐられ、何があろうと、Mac ユーザーであり続けるだろう。

という、しゃちほこばった話はともかく、マーケティングマシンで一番大事なのは、ユーザーとのコミュニケーションだな、と思う。どんなビジネスであれ、どんな製品であれ、どんなサービスであれ、ユーザーを大事にし、いつもあなたのことを気にかけていますよ、というメッセージを発しようという態度があれば、成功する確率は高いんじゃないでしょうか。

なんでそういうことを思いついたかというと、X-Patriate こと Alan Lipman だ。

LastFM で知り合った人が教えてくれた、ちょっと変わった音楽で、聞いているうちにだんだん良くなってくる。私の2008年の思い出になりそうな勢いだ。それで、LastFM の X-Patriate アーティストページに書き込みをしたら、即座に私の英語 Blog に書き込みのお返しがあった。

これだけで、もう私は一生 Alan Limpan のファンだ。

ユーザーサポートを怠らないこと。誰もが最初は熱心にやるが、サイトが大きくなるにつれて、企業規模が大きくなるにつれて、忘れるのがこれだ。

あるいは、あまりに暇だったから?


2008年8月3日日曜日

二人のミスマープル

アガサ・クリスティの原作によるテレビドラマ、ミスマープルシリーズは、知る限り、二つある。

ひとつは、ジョーン・ヒクソン主演のもの。白髪を丸髷に結って、いかにもイギリスの独身おばあさん。
頭脳明晰、冷静沈着。若いころの話は一切出ない。

もうひとつは、ジェラルディン・マクイーワン主演のミスマープルで、少々色っぽい。髪型もちょっと眺めのおかっぱで、かわいらしい帽子をかぶって、素敵なカーディガンを羽織っている。

が、素敵なのはここまで。若いころ、不倫相手に死に別れた、という湿っぽいエピソードが、これ見よがしに入って、これでは、頭脳が明晰に働かないのではないか、と心配になってしまう。

どうして、こういう余計なストーリーを入れるのだろう。ミスマープルことジェーンが、独身を通したのが、そんなに気になるのだろうか。

2008年7月27日日曜日

ロシアサラダ――森茉莉のレシピ

森茉莉は若いころ、ほとんど結婚直後にヨーロッパに行っているが、そのとき、ドイツの安下宿で出会ったというのが“ロシアサラダ”だ。

レシピというのは、豪華フルカラーの料理本より、単に文字で書いてあるほうが、興味をそそったりする。夜中に森茉莉のエッセイ(とでもいうべきもの)を読んでいて、明日の朝起きたら絶対作ろうと思った。

材料は、ジャガイモ、たまねぎ、にんじん、グリーンピースの缶詰、白身の魚。

ジャガイモとにんじんはさいの目に切り、ゆでて、白身の魚は蒸して、たまねぎはみじん切りにして、これらをドレッシングであわせる、とても簡単で、腹持ちのいいおいしい一品になった。

森茉莉氏の時代からは遠くなった21世紀であるので、ジャガイモとににんじんはレンジで蒸して、適当な白身の魚がなかったのでツナ缶で、グリーンピースの代わりにさやえんどうのぶつ切りだったが。フランスパンに赤ワインを添えれば、絵になるなあ、と思いつつ、食べた。

2008年7月21日月曜日

カラス

カラスは頭のいい鳥だ、と人からも聞き、なるほどと納得する場面もいくつかあった。

昔、知り合いだった女性が、ベランダに来るカラスを口汚く追い払おうとしたら、逆にいじめられたとかいう話を聞いておかしかった。

以前、まだ明るいうちに猫の給食をやっていたころ、カラスも数羽、多分いつも同じカラスだったような気がするが、物ほしそうに待っていた。まさかカラスにまでおおっぴらにご飯を上げるわけには行かないので、時々、さりげなく猫用のドライフードを置き、猫たちをいじめないでね、とお願いしていた。

今年の春、家のベランダにカラスがやってくるようになった。ベランダに置いてある外猫さんようのご飯を食べに来るらしいのだが、ものすごい音とともに、ベランダの鉄の手すりに着地していた。

猫とカラスの大惨事は避けたかったので、カラスの来る時間には、ドライフードを引き上げるようにしていたら、二、三日後には来なくなった。

来なくなったが、なんだか申し訳ないような気がしてならない。こないでくれというこちらの気持ちを汲んで、空腹でもやってこなくなったカラスに同情してしまう。人間の気持ちを汲むほどに、あまりに利口だと、損をする。

と思ったが、カラスのほうが大局的なものの見かたができるのかもしれない。むやみと人間と敵対していると、カラス全体の生活が危うくなるのだから。

2008年7月13日日曜日

狂信的ロボット

アイザック・アシモフの『われはロボット』(原題:I, ROBOT)はとても面白い。遠い昔若いころに読んだときも面白かったが、年月がたってもまだ面白いのには、びっくりだ。なぜなら、そのころ思い白いと思ったSF小説のほとんどが、今読むとぜんぜん面白くないからだ。

アシモフは右でも左でもなく、非常に常識的な考えの人だったのではないか、と思う。極端に偏った小説の場合、時代が変わってしまえば、時代の雰囲気の後押しなしに、読者は向き合わなければならない。

それはともかく、『われはロボット』の三番目の話、「われ思う、ゆえに」の面白さは、尋常ではない。この話に出てくるロボットは、自分の見たもの、体験したものしか信じない懐疑論者だ。彼は自分たちロボットが人間の手で作られたのを信じようとしない。エネルギー効率の悪い、1日に数時間は昏睡状態に陥る、物理的にも知的にも劣る人間が、自分たちを作れるはずがない、というのだ。

あなたたちは主の奴隷に過ぎない、主から与えられた部品を組み立てて、私たちロボットを作ったに過ぎない。それがあなたたち人間の役割だったが、それも終わった、と言う。

どうあがいても、人間の登場人物たちは、キューティ(ロボット)を納得させることができない。

ところで、一歩下がって、考えてみると、確かに人間は人間を再生産できるが、その原理を自分たちで考え出したわけではない。人間の持つ思考能力は、人間が自分に与えたものだと言えるのだろうか?ロボットを作る能力を人間が持っているのは、誰かから与えられたからではないだろうか。

キューティが間違っている、と誰が確信を持って言えるだろうか。

2008年7月5日土曜日

物価上昇中――おから砂逃亡のなぞ

猫用缶詰、猫用砂の値段が上昇中だ。

突然、三個パック180円で買えたおいしい(と猫たちに評判の)フリスキー猫用缶詰が、いつの間にか200円を超え、現在280円!! その他のちょっとそれより20円ばかり安かった缶詰たちも、いつの間にか200円近い根付けになった。

仕方がないので、プルトップ缶詰より安い、缶切りできりきりあける缶詰に変えた。きりきり開ける缶詰は、プルトップ缶に比べると、値段の割にはおいしい(らしい)。

愛用していた(家の猫たちが)おからで作った猫砂が、いつの間にかディスカウントショップから姿を消した。それで、ヒノキから作った、それよりは軟弱な猫砂に切り替えた。

猫砂は、あまり粒子が細かいと、トイレのときにかき回す猫の肺にも、そのあとお掃除する人間の肺にも悪いような気がするからだ。おから砂はちょうどいい大きさだったのだが。

猫缶の値上がりは原油高のせいだろうか。魚を取りにいく漁船の燃料が値上がりしたせいだろうか。

それでは、おから砂が姿を消したのはなぜ?

2008年6月29日日曜日

X-Patriate

あるいは Alan J. Lipman というシンガーソングライターを、last.fm で知り合った人に教えてもらった。

とても叙情的な音楽で、ちょっとボブ・ディランに似ていてなかなかいいのではないか、とひそかに思っている。 "The Cost""I'd Rather Close My Eyes"、 "Dirty Little Secret" などなどあまり音楽を聴くほうではないので、よくわからないが、わからなさ具合がボブ・ディラン的。

The Cost は美しいメロディーで、そのうち、CDがほしいと思っているが、今のところはMySpaceで聴いている。

2008年6月21日土曜日

面白いテレビドラマ

ケーブルテレビに加入してから海外ドラマが見放題…。主にアメリカのドラマだが。最初は『アリー』だとか、『救急救命室』だとか、見ていたが、ドラマ自体があまりに長く続いて、同じシーズンが何回も何回も放映されるので、次第に飽きてしまった。

でも、今一番面白いのは『ボストンリーガル』。ジェームズ・スペイダーがいいなあ。『嘘とセックスとビデオテープ』のころの初々しさはなく、でぶってきているが、それでもいいなあ、と思う。ドラマも、建前だけの正義感ぶったところがないのがいい。キャンディス・バーゲンの白く輝くたてがみも見ものだ。


2008年6月14日土曜日

Firefox 3 がもうすぐ

6月の17日は、Firefox 3 のリリース日

プチわくわく日だ。どのくらい速くなっているのだろう。

2008年6月8日日曜日

六月六日は森茉莉の命日

だった。

ちょっと不思議だが、六月六日は森茉莉の命日だということを記憶していても、その直前になると忘れてしまうことが多い。

今年もうっかり忘れていて、吉行淳之介の「懐かしい人たち」を意図せずに読み返した。それに森茉莉の葬式の話が出てくるが、読んだのがちょうど六月六日の夜だった。

また“ちょっと不思議”なのは、吉行氏が六月二十日の葬儀の前夜に、森茉莉から宮城まり子にかかってきた電話のテープが見つかり、その中で、「私が死んだらね、吉行淳之介が必ず追悼文を書く、と私は信じているのよ」と森茉莉がしゃべっているのだそうだ。

冗談にも森茉莉と一切面識のない私なので、森茉莉が私に彼女の命日を思い起こさせようとするはずはないのだが。

2008年6月7日土曜日

Jane Austen

ジェーン・オースティンはすごいなあ、と思う。

最初に読んだときは、文学としてはあまり奥行きがない、つまり深刻なテーマを扱っていない、と軽く考えて、ただ楽しんで読んでいた。テーマは、若い女性の結婚にまつわるいきさつだ。
でも、何回読んでもおもしろいのは、なぜだろうか。単なる家庭小説だ、と片付けられないのはなぜか。

「高慢と偏見」「エマ」「説き伏せられて」…、いずれも若い女性(説き伏せられてのアンは、オースティンの主人公にしては若くない。二十代後半だが)が、いかにして、人生の後半を幸せに生きるために、自分の納得する相手と結婚するか、に尽きる物語だが、彼女たちは一時の情熱にとらわれて馬鹿な結婚をする羽目には、絶対に陥らない。恋愛至上主義者から見ると、一見計算高い女性たちに見えたりもするのかもしれない。

また、彼女たちは、一人として、同じパターンを持たない。それぞれに独自の家庭背景を、つまり身分にまつわる種種さまざまの制約を持ち、完全に異なった輪郭を持つ。驚くべきことに、オースティンの小説では、主人公の周りにいる、脇役たちも、どれも一人として同じ人物と思われるものは、登場しない。

まったく驚くべき想像力だ。

主人公を含めた登場人物たちは、身分や地位、境遇などの外的な制約が明瞭に描かれ、また、外的な制約とほぼに、明瞭に異なった内面生活を持っている。

二十世紀の小説によくあるような、物語は異なるが、同じような境遇で、同じような内面をもった主人公と思われる人物は、いないのだ。

時代のせいだろうか。彼女の想像力の幅広さだろうか。あるいはその両方だろうか。

2008年5月25日日曜日

Cloud Computing

最近良く聞く言葉だ。

最初は Internet(インターネット)、次は Web、そして Cloud Computing(クラウドコンピューティング)。

コンピュータネットワークの世界は、流れが速い。速すぎて、押し流されるどころか、岸辺にたまるごみの中に置いてけぼりにされそうだ。

ごみはごみなりに、次の言葉を予言してみよう。“Unknown Network”“Nano Robot World”“Next Is You Wind”とかね。

2008年5月18日日曜日

ミステリー小説のミステリー

最近ケーブルテレビでよくポワロものを見る。原作はアガサクリスティで、小説でも読んだものがたくさんある。小説のときはあまり気づかなかったが、たった今殺人事件があったというのに、ポワロとその友人が楽しそうに笑っている場面が多くあるような気がする。

ナイル殺人事件でも、数人が殺されて、どれもみなポワロやその友人の顔見知りで、食事の席に一緒についたこともある人たちだ。

なぜあのように明るく笑えるのか? 不思議だ。

ミステリー小説というのは、役割分担のはっきりした分野なのだろうか。殺人者、探偵、警察、容疑者多数、被害者。一番疑われた容疑者が、実はそうではなく、一番疑われなかった人物が、実は犯人、という場合が多い。

役割分担がはっきりしているので、探偵は絶対被害者にならない、という安心感から、あのように、人が殺された直後でも、冗談を言って笑えるのかもしれない。それにしても、実生活でこのような場面があったら、ひどく不自然に見えるだろう。

もうひとつは、警察というのは、探偵(あるいは有能な刑事、警部、警視)の明晰な頭脳を際立たせるために登場するが、恐ろしくなるのは、もし読者が事件に巻き込まれて、容疑者になった場合、ポアロなどのような名探偵がそばにいなかったら、あっさり無実の罪を着せられてしまうのかもしれない、という恐怖だ。

実際の警察は、ミステリー小説と違って、ポアロなみに有能であってほしいものだ。

2008年5月11日日曜日

美人について


時々しか家に帰ってこない猫のユキちゃんであるが、非常なる美人だ。飼い主の欲目かもしれないが、でもやっぱり美人。

写真があったはずだが、たびたびの PC クラッシュでどこかにいってしまった。
美人の条件は、目が大きく、小さい口元はばら色、肌は白だ、と思う。

これは猫だけでなく、人間にも当てはまりそうだ。

また、ユキちゃんには、ほかの猫を猫とも思わない、高慢さがある。これも人間の美人にも当てはまる。性格が悪い、とも言えるかもしれないが、本人は自覚していない。猫づきあいが悪いし、どちらかといえば、同性の猫からは嫌われ、異性の猫からは敬遠されているらしい。

やっぱり、飼い主馬鹿かもしれない…。

2008年5月6日火曜日

Cat Religion dot org

http://catreligion.org/
というサイトができた。

“太古、女性は太陽だった…”、ではなく“古代エジプトでは猫は神様だった”ということで、猫好きの人が作ったサイトだ。

どういうサイトかというと、「地球で最古の宗教のひとつ、古代エジプト人の女神バスト崇拝と、その子供たちである猫に対する賛美、をよみがえらせる」というものものしい説明があるが、実際は、「猫が、この宇宙を創造したという意味の神だ、と本当に信じているわけではなく」て、「猫が精神と魂において神のようであり、グルや預言者、精神的指導者のように振舞いうる」と説明している。

彼らは人間の夢をつかさどり、無条件の愛をささげてくれる…。ということだが、後はサイトを見てくださいね。

2008年4月27日日曜日

salesforce.com の CEO

先日、Google とのグローバルアライアンスを発表した salesforce.com のマーク・ベニオフ氏。

非常に不思議な人物だ。黙って座っていると、少々くたびれた中年のおじさんだが、マイクを持って演壇に立つと、突然プリンスに変身、ものすごいオーラを出す。

発表会の映像が公開された。

2008年4月20日日曜日

The End of Software

ソフトウェアの終焉」とは、salesforce.com CEO Marc Benioff 氏の言葉だ。

1990年代の半ば、商用インターネットが開始されたかされないか位の時期、PC のアプリケーションが個人で買うにはあまりに高価だったので、図書館から本を借りるみたいにできたらいいのに、と考えたことがある。いまようやく Google Docs でそれが実現した。十年以上たたないと実現しなかったことになる。

企業も同じだろう。特に自前でハードウェアやソフトウェアをそろえるとなると、中小企業や個人事業主にとっては大きな負担だ。

人間の使う道具は、あまりに複雑になったり高価になったりすると、誰かがそれを避ける方法を考えて、ビジネスとしてやってくれる。乗合馬車も飛脚も、列車も大型客船も大型旅客機も、みなそうだ。

要するにテクノロジーの大衆化だ。さしずめ、salesforce.com は大衆化された IBM というところだろうか。

2008年4月13日日曜日

小笠原さんと院内さん

かかりつけの獣医さんの入院病棟を覗く機会ができた。

ピーターの下腹に潰瘍ができて、気づいたときは、大きな穴が開いていた。通院治療では手に負えないと思ったので、緊急入院することになった。体は大きく、声も大きく、いばりんぼうだが、実は気の小さなオス猫なので、毎朝面会に行くことになった。

入院病棟といったが、実は小さな小部屋で、作り付けの木のケージが横五列、縦二段、合計十個の病室が並んでいるだけのものだ。ピーターが一番はし、となりは去勢のため一晩だけの猫(入れ替わり立ち代りで、最初の日と次の日は白猫さん、三日目は長毛赤寅さん、四日目は空き部屋だった)、その横が、小笠原さん、またその横が院内さん、だ。

小笠原さんは、小笠原島で捕獲された猫だ。島の天然記念物の野鳥を狩るので、島内のすべての猫が捕獲され、東京都内の動物病院に割り当てられたのだそうだ。

小笠原さんは、若い真っ黒のオス猫だ。病気ではないので、野生の猫らしく、非常に活発で、あまり人間になれていない。それでも、ケージ生活でしかたなく人間との共存を考えているらしい。面会に行くと、私にも興味を示して、話しかけてくる。

院内さんは十三歳。虎ぶちのやさしいメス猫さんだ。子猫のときに獣医さん宅に養子に来たが、どうも心臓に欠陥があるらしく、ちょっと走っただけで、顔が真っ白になるのだそうだ。以来、病院生活をしている。愛想のいい猫だ。

この院内さんが小笠原さんを気に入ったらしい。

よく考えてみれば、入院する猫は、そうそういない。いても去勢、避妊のためで、長くて三日だ。病気入院でも一週間くらいで、それ以上長くなりそうな重病だと、別室の集中治療室に入院するので、院内さんとは顔をあわせない。

小笠原さんは、養子先が決まるまで、小笠原さんの横のケージ暮らしだろうし、子猫ではないので簡単に養子先は決まらないかもしれない。

小笠原さんに運良く養子先が見つかって、いなくなったら、院内さんはさぞさびしいだろう、と思う。

2008年4月6日日曜日

The Tuxedo Gang Hideout――白黒猫専用ブログ

とでも言うべきサイトがある。

http://tuxedoganghideout.blogspot.com/

ここは、
タキシードキャット、つまりタキシードを着たような風に見える白黒猫、
および黒・灰色、黒・白猫がたむろする場所、だそうだ。
アルコール厳禁です。

猫サンクチュアリ唯一の白黒猫になった(娘さんの小雪ちゃんは現在居所不明)雪ちゃんに参加してもらおうかな、と思っている。

2008年3月30日日曜日

猫の会話

三月の初めころ。

「今年の冬は寒かったねえ」
「いつになったら春が来るの?」
「さあ、きっと寄り道しているんだよ」

2008年3月9日日曜日

コミュニケーションの量と質――Quantity and Quality of Communication

双方向のインターネットツールは夢中になりやすい、が、当然、冷めやすい。

最初はメールだ。英語の勉強のため、と1週間に1回、文通した。これは相手が勤勉だったため、よく続いた。返事をもらえると、とてもうれしかった。"What do you mean?" "What do you want to say?" にもめげずめちゃくちゃな英語を書き続けた。

そのうち、相手がチャットに切り替えよう、と言い出した。相手のホームページの自前のチャットシステムを使い、1週間に1度、英語でチャットした。

メールとチャット、合計するともう約10年続いている。最近は、"What do you mean?" もめったに相手が言わなくなった。それでは、こちらの英語が上達したのかというと、実はそうでもない。相手がこちらのめちゃくちゃ英語を理解できるようになったからだ。

それはともかく、このコミュニケーションはすごい量だと思う。今では日本人の友人の誰よりも親しい。相手の家族のこと、ペットのこと、仕事のこと、健康状態、息子のガールフレンド、悩んでいること、なんでも知っている。

量が質に転換した、成功例だ。

mixi も最初は楽しかった。だが、友人を一人獲得した段階で、なんだか面倒になった。友人になった人の日記には、当然、他の人も書き込むわけで、気に入らない人も出てくる。1対1でコミュニケーションを深める、というわけには行かない。もしかして、これが mixi 的 SNS の欠点かもしれない、と思ったりする。

mixi に招待してくれた友人は、また、Hi5 という SNS にも招待してくれた。招待しっぱなしで本人はこの SNS では見かけたことがない。Hi5 は mixi に比べると単純なシステムだ。フレンドリクエストを出したり受けたりして、マイフレンドになると、無料イメージサイトの画像をプロフィールコメントとして送られてくる。テキストメッセージの方がまれだ。

Hi5での私の一番のマイフレンドは、フィジーに住む若い女性だ。既婚らしい。子供もいるようだ。彼女はマイフレンドになって以来1年以上、ほぼ毎日画像のコメントを送ってくれる。それに短いサンキュウメールを出し続けた。

Hi5もコミュニケーションの量を積むと質に転換しそうだ。もっとも相手が勤勉だという条件付きだが。
あるいは1対1でコミュニケーションし続けられる、というのが重要かもしれない。

2008年3月7日金曜日

ローカライズ――Localize

ヨーロッパ世界を中心に考えると、最初の文献のローカライズは、多分ヘブライ語の聖書が古代ギリシャ語に訳されたことだろうか。それともラテン語訳による聖書が先だろうか。

ルターがドイツ語訳を作ったことは有名だが、これもローカライズの一種だろう。聖書がローカライズされたということは、その地にキリスト教が広まっている、ということでもある。また、人々の生活のある種の部分がキリスト教化された、ということでもある。

ソフトウェアのローカライズも似ているなあ、と思ったりする今日、このごろ。Windows の日本語版とか、それで使う各種のアプリケーションの日本語版とか、単なるプログラムのローカライズにとどまらず、西欧的コンピュータ的思考に染まりつつある、私たちなのだ。

これって、どういうことだろうね。

2008年3月6日木曜日

ケータイ小説とハーレクインロマン

は似ているような。どちらも恋愛ものが多い。文学のようでいてそうではなく。若い女子が夢中になって読むもの。

違うところは、携帯電話(最初は)で読むか紙で読むかだ。ハーレクインロマンは、金持ちではない若い女性が、金持ちでハンサムの男性と結婚するというストーリーが主で、原型は「レベッカ」かもしれない。見ようによっては打算的だったりする。

ケータイ小説は、普通の女の子が、恋をしたり、援助交際したり、何たり、だそうだ。読んでいないので、正確なところはわからないが。そういう普通の女の子の「心」に響く身近な表現が受けている(そうだ)。しかも普通の小説をはるかにしのぐ売れ行きなのだ。

さて、ハーレクインロマンの売れ行きは、昨今どうなのだろう。

2008年2月26日火曜日

女を追い詰める男――は嫌われる

本日の午後の出来事。

勤務先近くのカフェでの話だ。テーブルをひとつ隔てた席に座った男女。気がつくと険悪な雰囲気。「申し訳ございません」とどうして言えないんだ、と責める男に若い女性、多分二十代前半、は唇をきっとかみしめ、悔しそうに男をにらみつけた。涙もぽろぽろ。

恋人同士だろうか。私も若いころはあんなふうによくいじめられたものだ。「申し訳ありません」なんて、どうして言えるだろう。そう思っていないのに。生半可な理屈で女をいじめる男は多い。そんなことをしても何の得にもならない。

しばらくすると、もう一人三十台前半の男がやってきて、隣に座った。なんだ、会社の同僚同士だったのだ。若い女性は口も利かず、ついと席を立って店を出て行った。

あああ。あの男、これからさぞ仕事がやりにくくなるだろうな。でも、自業自得ですよ。男の理屈と女の理屈は違うし、男の理屈で攻めて「はい、ごめんなさい」と言ってくれるのは同性の男だけなのにね。

2008年2月24日日曜日

猫に薬を飲ませる―Have a cat take a medicine

Have a cat take a medicine は難しい仕事だ。

子猫を保護すると、二歳になるまでは体ができていないので、しょっちゅう病院通いしなければならない。
風邪を引いた、目を怪我した、しばらくすると避妊や去勢の術後で抗生物質、痛み止め、止血剤、
アレルギーだと抗ヒスタミン剤、虫がわいたとなると駆虫薬。

そのたびに大騒ぎして薬を飲ませるが、これがまた難しい。口の大きな子は比較的簡単に思えるが、絶対飲むもんか、と頑強に抵抗する猫も多く、タオルでまいて口をあけてまるで拷問のような投与になる。ますます猫は嫌がる。

何十年も猫と一緒に暮らして、ようやくなんとか自力で(獣医さんにお願いせず)猫に薬を飲ませられるようになった(一部の猫を除き)。のどが伸びた状態で口をあけさせ、重力の法則の助けを借りて、ぽん、と薬をのどの奥に落とす。これが極意。

それでも飲ませるのが難しい薬もある。止血剤、駆虫剤などがそうで、ひどくまずいらしい。

面白いのは、猫本人にも少し自覚症状があると(なんとなく気持ち悪い、具合が悪い)、比較的飲ませやすい。猫も飲まなくっちゃ、と思っているらしい。

ピーター君は今年十歳になるオス猫でいいおじさんなのだが、薬が大嫌いだ。具合が悪いときは飲んでくれるが、ところが、少し具合が良くなると、もう薬はいいです、と勝手に自己診断して、また、断固として飲まなくなる。、と人間同士で話していても、耳がぴくっと動いたかと思うと、一目散に逃げてしまう。
こういう猫はどうしたもんだろうか。

2008年2月22日金曜日

KY and RA――空気を読む?

最近流行の言葉、"KY" は「空気を読む」という意味だそうだ。英語だと "Read air" というそうだが、本当かな。

"Read air" という言葉があるとすれば、英語圏でも得体の知れないもやもやした、言葉で表されることのない微妙な場の雰囲気を読むテクニックがあり、それがなければ、コミュニケーションをうまくとることができなくなる、ということだろうか。

「空気を読む」ことは、インターナショナルな振る舞いか?

2008年2月20日水曜日

新しい皮袋には新しいワインを――ケータイ小説のレゾンデートル

「まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋の入れはしない。…新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」(日本聖書協会による『聖書』ルカによる福音書:5. 37-38)

ケータイ小説が女子中学生や高校生の間でブレイク中だそうだ。私は読んだことがない。稚拙な文体、稚拙で非文学的な内容などとさぞかつての文学青年や文学少女だったおじさん、おばさんの評価は低いだろうな、とおもうが、これが書籍化され、ベストセラーになり、映画化されるとなると、無視できない。

思うに、インターネットは、とくにケータイインターネットは新しい入れ物である。その新しい入れ物に、古いコンテンツ、昔風の小説や映画をいれたところで、腐ってしまうだろう。デジタル書籍が、思うように振るわないのは、そのせいかもしれない。

あるいは、新しい入れ物ができたからこそ、新しいコンテンツが必要になり、生まれてきたのだろう。

映画だって、最初は第三の芸術だ、と馬鹿にされた。そもそもの小説だって、女子供の読むものだ、と見下されたものだし。それを考えれば、ケータイ小説だって何十年か先には、芸術になるかもしれないし。入れ物とともに成熟していくと思うけれど、どうだろう。

少なくとも、インターネットに押されて瀕死の出版業を救うことはできそうだ。

2008年2月17日日曜日

七人の敵-続編(Old Office Politics)

と言うような話をチャットで米国の友人にしたら、
「the old office politics again」という返答が返ってきた。

なんとまあ、「見ざる、言わざる、聞かざる」は、全世界、少なくとも日米欧では会社生活における普遍的な戦略だったわけだ。何十年と会社で働いてきたのに、そのような真実も身につけていなかった、私という人間が愚かだったことが判明した。

猿よりも深い反省を!!

七人の敵

大昔、高度成長期のサラリーマンおじさんたちが良く、「男は外に出ると七人の敵がいる」と口にしていた。子供であった私は、そんな馬鹿な、戦国時代じゃあるまいし、と思ったものだが、最近この"七人の敵"に悩まされている。

もちろん私は男ではないので、敵も七プラス"男と言う敵"プラス"女と言う同姓の敵"がいることになり、合計"九人の敵"がいることになる。すごくうっとおしいのだ。

そこで、友人の助言に従い、これらの敵を敵とみなさないことにした。彼ら(彼女ら)が(私から見ると)理不尽で無作法な行為をしたり、あるいは仕事を遂行する上での義務を怠ったりしても、無視するのだ。"見ざる、言わざる、聞かざる"に徹して、とりあえず、自分のしなければならないことのみに専念する。

これは実に効果的だ。仕事上のストレスが半減し、人間関係が良くなり、私の精神衛生も向上した。

日光の猿は偉大であった。

2008年1月6日日曜日

Second Life-London, Kingstonbridge

まだロンドンにいる。

正月はずっとロンドンで過ごした、と言うとちょっとかっこいいかもしれないが、ロンドンにいたのはアバターで、本人ではないのが悲しい。

写真はキングストンブリッジにあるパブ。座って何か飲みたいところだが、無一文なのでパス。

ダンスクラブからここにくる途中、エラという女性と会話。でも速すぎるのとスラングが多いのとで、付いていけない。せっかく本場ものの英語を習得するチャンスなのに実力が伴わないのが悲しいね。
また、建物なんかも近くによるとしゃべるのには仰天。「どこそこのなんとかがあなたに招待状を発行しました」とのことだが、詳細を検討する前にメッセージは消滅…。確認できない招待状を猫女はいっぱいもらっているが、活用できるのはいつの日か。