2008年3月30日日曜日

猫の会話

三月の初めころ。

「今年の冬は寒かったねえ」
「いつになったら春が来るの?」
「さあ、きっと寄り道しているんだよ」

2008年3月9日日曜日

コミュニケーションの量と質――Quantity and Quality of Communication

双方向のインターネットツールは夢中になりやすい、が、当然、冷めやすい。

最初はメールだ。英語の勉強のため、と1週間に1回、文通した。これは相手が勤勉だったため、よく続いた。返事をもらえると、とてもうれしかった。"What do you mean?" "What do you want to say?" にもめげずめちゃくちゃな英語を書き続けた。

そのうち、相手がチャットに切り替えよう、と言い出した。相手のホームページの自前のチャットシステムを使い、1週間に1度、英語でチャットした。

メールとチャット、合計するともう約10年続いている。最近は、"What do you mean?" もめったに相手が言わなくなった。それでは、こちらの英語が上達したのかというと、実はそうでもない。相手がこちらのめちゃくちゃ英語を理解できるようになったからだ。

それはともかく、このコミュニケーションはすごい量だと思う。今では日本人の友人の誰よりも親しい。相手の家族のこと、ペットのこと、仕事のこと、健康状態、息子のガールフレンド、悩んでいること、なんでも知っている。

量が質に転換した、成功例だ。

mixi も最初は楽しかった。だが、友人を一人獲得した段階で、なんだか面倒になった。友人になった人の日記には、当然、他の人も書き込むわけで、気に入らない人も出てくる。1対1でコミュニケーションを深める、というわけには行かない。もしかして、これが mixi 的 SNS の欠点かもしれない、と思ったりする。

mixi に招待してくれた友人は、また、Hi5 という SNS にも招待してくれた。招待しっぱなしで本人はこの SNS では見かけたことがない。Hi5 は mixi に比べると単純なシステムだ。フレンドリクエストを出したり受けたりして、マイフレンドになると、無料イメージサイトの画像をプロフィールコメントとして送られてくる。テキストメッセージの方がまれだ。

Hi5での私の一番のマイフレンドは、フィジーに住む若い女性だ。既婚らしい。子供もいるようだ。彼女はマイフレンドになって以来1年以上、ほぼ毎日画像のコメントを送ってくれる。それに短いサンキュウメールを出し続けた。

Hi5もコミュニケーションの量を積むと質に転換しそうだ。もっとも相手が勤勉だという条件付きだが。
あるいは1対1でコミュニケーションし続けられる、というのが重要かもしれない。

2008年3月7日金曜日

ローカライズ――Localize

ヨーロッパ世界を中心に考えると、最初の文献のローカライズは、多分ヘブライ語の聖書が古代ギリシャ語に訳されたことだろうか。それともラテン語訳による聖書が先だろうか。

ルターがドイツ語訳を作ったことは有名だが、これもローカライズの一種だろう。聖書がローカライズされたということは、その地にキリスト教が広まっている、ということでもある。また、人々の生活のある種の部分がキリスト教化された、ということでもある。

ソフトウェアのローカライズも似ているなあ、と思ったりする今日、このごろ。Windows の日本語版とか、それで使う各種のアプリケーションの日本語版とか、単なるプログラムのローカライズにとどまらず、西欧的コンピュータ的思考に染まりつつある、私たちなのだ。

これって、どういうことだろうね。

2008年3月6日木曜日

ケータイ小説とハーレクインロマン

は似ているような。どちらも恋愛ものが多い。文学のようでいてそうではなく。若い女子が夢中になって読むもの。

違うところは、携帯電話(最初は)で読むか紙で読むかだ。ハーレクインロマンは、金持ちではない若い女性が、金持ちでハンサムの男性と結婚するというストーリーが主で、原型は「レベッカ」かもしれない。見ようによっては打算的だったりする。

ケータイ小説は、普通の女の子が、恋をしたり、援助交際したり、何たり、だそうだ。読んでいないので、正確なところはわからないが。そういう普通の女の子の「心」に響く身近な表現が受けている(そうだ)。しかも普通の小説をはるかにしのぐ売れ行きなのだ。

さて、ハーレクインロマンの売れ行きは、昨今どうなのだろう。