2008年5月18日日曜日

ミステリー小説のミステリー

最近ケーブルテレビでよくポワロものを見る。原作はアガサクリスティで、小説でも読んだものがたくさんある。小説のときはあまり気づかなかったが、たった今殺人事件があったというのに、ポワロとその友人が楽しそうに笑っている場面が多くあるような気がする。

ナイル殺人事件でも、数人が殺されて、どれもみなポワロやその友人の顔見知りで、食事の席に一緒についたこともある人たちだ。

なぜあのように明るく笑えるのか? 不思議だ。

ミステリー小説というのは、役割分担のはっきりした分野なのだろうか。殺人者、探偵、警察、容疑者多数、被害者。一番疑われた容疑者が、実はそうではなく、一番疑われなかった人物が、実は犯人、という場合が多い。

役割分担がはっきりしているので、探偵は絶対被害者にならない、という安心感から、あのように、人が殺された直後でも、冗談を言って笑えるのかもしれない。それにしても、実生活でこのような場面があったら、ひどく不自然に見えるだろう。

もうひとつは、警察というのは、探偵(あるいは有能な刑事、警部、警視)の明晰な頭脳を際立たせるために登場するが、恐ろしくなるのは、もし読者が事件に巻き込まれて、容疑者になった場合、ポアロなどのような名探偵がそばにいなかったら、あっさり無実の罪を着せられてしまうのかもしれない、という恐怖だ。

実際の警察は、ミステリー小説と違って、ポアロなみに有能であってほしいものだ。