2009年9月20日日曜日

Wittgenstein――メモその3

『論理哲学論考』(論考:Tractatus Logico-philosophicus)について、というか、『『論理哲学論考』を読む』(野矢茂樹:ちくま学芸文庫)についてのメモ。

1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない

これを、野矢氏は次のように言い換える。

世界は事実の総体であり、固体、性質、関係の総体ではない
事実は、もの、つまり、人間の眼前にあるもの、個体(たとえば、猫のミケとか犬のポチとかの個体と、その性質、白い色とか三毛とかの性質、三毛は座布団の上にいるとかポチは犬小屋にいるとかの関係性の寄せ集めではない、と言いたい。

つまり、生き生きとした事実の総体が世界なのだ。個体、性質、関係は結合している。丸ごとの事実。

そこで、「可能的な事実」としての「事態」でも諸対象(個体、性質、関係)は結合していなければならない。

2.01 事態とは諸対象の結合である

これは、言い換えられて、
事態とは諸対象の『可能的』結合である
となる。

むずかしいなあ。

事態は、現実の結合、事実ではないので、「言語」を介した「箱庭装置」だと言われる。
野矢氏は、例として、引越しのときにあらかじめ紙に書いておいた新居の間取り図をあげる。
「箱庭装置」を媒介する「言語」は、その意味ではなく、あくまで「音声」や「文字」(見ようによってはインクのしみ)という代理物として、見なければいけない。

何を書いているのかわからなくなってきたが、まあ、これはメモなので。

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