2009年10月18日日曜日

言語は社会的なゲームである

たった一人で森の中に住んでいるとしたら、たとえ、成人するまで人間の社会で教育を受けたとしても、言語は必要ないだろうと思う。

言語はコミュニケーションの道具であるが、道具以上の道具である、というような意味のことを、野矢茂樹氏は『哲学・航海日誌』(春秋社刊)の中で書いている。

靴も衣服も、体を守る道具であり、飛行機や車や鉄道も、移動のための道具である。だが、単なる道具では済まされない。これらの道具こそが人類の築き上げた文明の核心だ。

ましてや、言語は人間が、単なる道具、と言い捨てて済まされる道具ではない。

言語はコミュニケーションのための道具であるが、コミュニケーションと言う限り、他人を必要とする。日々、私たちは他人の言語行為を受け止め、評価するが、同時に自分の言語行為も他人の評価が必要なのだ。そうでなければ、コミュニケーションは成り立たない。

「言葉にならない思い」などというものは存在しない。言葉にして初めて、他人の評価を受けられるようになるからだ。言葉にならない、のは、道具をよく使いこなせていないからかもしれない。

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