2011年11月13日日曜日

柿太の偉業

柿太は2011年11月12日、偉業を成し遂げた。

12日以来、他の猫たちは柿太を尊敬し始めた。柿太もまた、自分に大いなる自信を持ち始めたようだ。

しかし、猫たちにとっては偉業でも、鳩たちにとっては恐ろしい惨事だったに違いない。

12日早朝、柿太は一羽の鳩を狩り、自宅に持ち帰った。朝起きた飼い主は、まるで殺人の現場のようになった居間に驚愕、さらにカーテンの陰に隠された鳩の惨殺死体に驚愕した。柿太の狩った鳩は、ちょうど柿太と同じくらいの大きさだったそうだ。柿太自身、猫としては大きいほうなので、かなり大柄の鳩を狩ったことになる。

柿太はそれまで、猫の地位としては最下位だった。よく太った大柄の赤猫だが、丸っこい、気弱な顔の猫で、一日中家にいて眠ることができなかったし、義理の父親であるうーがそばにいないと、肩身の狭い思いをしていた。

12日の朝、飼い主が血だまりや死骸を掃除した後も、柿太はどうどうとベッドの上で眠り、夕方になってから散歩に出かけた。

2011年7月24日日曜日

3.11雑感――われらみなアイヒマン

ナチス時代にドイツからアメリカに亡命した政治哲学者のハナ・アーレントは、アイヒマンの裁判を傍聴し、次のようなことを書いたという。

以下、スチュアート・ヒューズ『大変貌』(みすず書房1978年刊)からの引用。

「アイヒマンも彼の同僚も、良心の呵責の奇怪な転倒を行なったのだ。かれらは、『肉体的苦痛をみて生ずる…動物的な憐憫の情』を、『そういう本能を周囲の方へ向けかえる』ことで克服できた。『…“何という恐ろしいことを私はあの人たちにしたのだろう”というかわりに、かれらは、“任務を遂行する上で、私は何と恐ろしいものを見なければならなかったことか”ということができたのである。』ほんのたまにアイヒマンは残虐行為に立ち会ったが、その際にはたしかにかれは目撃したことに心を動かされた。しかしかれは――その他多くのものたちも同様に――、犠牲者に対する『正常な』憐憫の反応を示す代わりに、憐憫に値するのは、負わねばならぬ恐ろしい責任のゆえに、むしろそういうポジションにあるものたちだと、自らに納得させ得たのである。」

今回の福島第一原発のそもそもの設置、そして発生した過去のさまざまなミスは、「残虐行為を行なった」のではなく、結果的に「残虐な行為となることを回避するためになにも行なわなかった」という点で、異なるが。

このような良心の呵責の奇怪な転倒は、責任の所在がヒエラルキーの中に消滅するような官僚制の中では、誰にでも起こりうるような気がする。

2011年7月16日土曜日

3.11 雑感 - 官僚制

福島第一原子力発電所の事故が起こった3月11日以降、不思議に思った一番大きな点は、なぜ、東京電力には事故を収束する力がないのか、なぜ日本政府や原子力安全・保全委員会は東京電力に対し、適切な指導ができないのか、ということだった。

もちろん、ほぼ、東北地方の半分に渡る地域で、避難民を救助し、インフラを再建するという大仕事に加え、遭難者の救助、遺体の捜索もしなければならなかった。

それにしても、なぜだろうか。

政治が生活の隅々にまで行き渡った国の官僚が、これほど無能であっていいのだろうか。官僚制というのは、物事がうまく進んでいるときはいいが、非常時には役に立たないのだろうか。あるいは、官僚制の本当の目的は、国民の保護以外の別のものなのだろうか。

2011年7月5日火曜日

3.11 雑感―福島フィフティーズ

3.11 以後、なんだか記憶があいまいになっているような気がする。確かではないが。

というのも、福島第一原発の事故の直後、確か何人かの作業員が残った、というニュースを、つい先日まで記憶の底にしまい、忘れていたことに気づいた。

別の記事を探そうと検索して、偶然ニューヨークタイムズの記事を発見したのだ。それは福島第一原発に残った50人のエンジニアチームについてだった。

当時、海外では「福島第一原発フィフティーズ」として、かなり話題になったらしい。

でも掘り起こした私の記憶では、「何人かの作業員が残された」という、NHK かどこかのニュースだけだった。

また、50人のエンジニアチームのニュースがぜんぜん国内で報道されなかった、と憤っている人がかなりいるらしいが(私もそうだ)、実は、報道されていた。

朝日新聞の Web 版では「、東京電力は15日、福島第一原子力発電所2号機で、爆発音が発生したことを受け、原子炉を冷やすための注水にあたる作業員以外の人員を、発電所内の安全な場所へ移動させると発表した。放射性物質の大量流出による被曝(ひばく)の可能性があるため、50人程度を残して全員が避難するという」というのがある。

産経新聞によると、「(3月)15日現在、福島第1原子力発電所2号機の対応にあたっている作業員、東電社員と協力会社の社員合わせては約50人」とある。「被曝量が高まると、次の部隊と交代することになる」と書いてある。

だから、メジャーなメディアが取り上げず、報道管制がしかれていて、意図的に隠されていた、というのは事実ではない。しかし、その後、この50人がどうなったのか、よくわからない。事故後の原発でずっと作業していたのがこの50人なのだろうか。

全国のハローワークで、高賃金、無保証の作業員を募集しているという、うわさのようなものを読んだ記憶がある。これは、2号機以外の作業員のことだったんだろうか。

津波による広範囲な被害、2万人近い死者行方不明者、それに加えて刻一刻悪化するする原発の状況に、私は圧倒され、恐れおののき、記憶を消してしまったのかもしれない。あまりに怖いので、新聞報道や NHK の報道、Web での海外報道を見ないようにしていた時期が、かなり長くある。

それにしても、事故後の原発に残り、復旧修理作業を行っているエンジニアたちのことを忘れるとは、あんまりではないか。

彼らはどういう作業をしていたのか、また、その後どうなったのだろうか。

2011年6月19日日曜日

3.11 雑感--ふるさと喪失

東北地方の太平洋岸を襲った津波と、福島第一原発の事故のあと、これで永久に日本の「ふるさと」が失われた、と思った。

「ふるさと」の歌に歌われた、志を遂げた後帰るふるさとだ。大体は、志を遂げられないし、遂げられても帰る人はごくわずかだけれど。

東北地方が自分にとってのふるさとかどうかは関係なく、ふるさととしてイメージできるのは、やはりあの地方ではないだろうか。

それが、津波と、それ以上にひどいことには、放射能で汚染されてしまった。
もはや「山は青く」なく、「水は清き」どころではない。

都市は農村からいろいろなものを奪い取って大きくなる。
農業生産物をそぐわない商品経済に組み入れて、それに見合う価値以下で買い取り、
それから、労働力を奪い取り、
結果として政治的力をも奪い取る。

さらに、危なすぎて首都の周囲には置きたくない原発も押し付ける。

農村の疲弊は、都市にいてはわからない。
時々帰ると、愕然とする。
しかし、そこにずっと住んでいる人も、どんなに変わったかはわからない。
徐々に徐々に疲弊が進むからだ。

問題は、これらが、個人の意思ではどうにもならないことだ。
巨大になりすぎた人間の組織が、まるで自動機械のように回り始めている。
誰もが自分の周りの些細な、あるいは重大な事柄に振り回され、
どうにもならない状況だ。

官僚は組織内の自分の地位と発言力を維持しつつ、責任を逃れる方法を見つけざるを得ない。
そうしなければ、自分の生活が脅かされるからだ。

企業は、もともと利益追求の組織だから、利益を上げることが優先され、倫理は、雲の上の出来事だ。

2011年6月11日土曜日

3.11 雑感--子供の疎開

NHK テレビで放送していたが、福島圏内に住む若い母親が、子供を東京やそのほかの地域に疎開させていることを、義理の両親や親戚などに内緒にしているという。こういう母親が少なからずいるかもしれない。

東北地方は古くからの農業地帯だ。共同体の拘束も、都市部とは比較にならないだろう。

でも、ことは子供の健康に関するものだ。子供を他の地方に疎開させることが、共同体の利害に反するのだろうか。あるいは他の人間と違った行動をとることが、共同体そのものに反することなのだろうか。

また、こっそり自分の子供だけ疎開させるのではなく、周囲の若い母親や父親と一緒に行動し、集団で疎開させる、ということは、福島では難しいのだろうか。

疎開させたくない親もいるだろう。疎開させたい親ももちろんいるだろう。いずれにしても、異なる意見を受け入れる土壌がないということだろうか。

今日は6月11日。3月11日から3か月過ぎた。日本の各地で反原発のデモが行われたようだ。

2011年6月8日水曜日

3.11 雑感--正しい行為と間違った行為

最近、何を見ても悲しい。

特に Twitter はひどい。
いつも誰かが誰かを攻撃している。そのやり方は間違っている。あのやり方は間違っていた。
どうしてあのとき正しいことができなかったのか。などなど。

でも、そういっている当人が、何が正しくて何が間違った行為か、本当に確信があるわけではない。
たいていは、Twitter やそのほかの SNS、ニュースを引き合いに出して、自分の行っていることが正しい、と言い張っているだけだ。

きっぱりとした、倫理感はどこに行ったのだろう。
間違っていてもいたら、それに対して責任をとろうというという、潔さはどこにあるのだろう。

2011年6月5日日曜日

3.11 雑感--命名

3月11日に起きた大地震と、以降、引き続く津波、福島第一原子力発電所の事故について、なんだかもやもやして、考えが定まらないので、ばらばらに、とびとびに、日々考えたことを書いてみることにした。

まず、名前だが、地震そのものは、東北地方太平洋沖地震、と命名されたようだ。

でもそれによっておきた災害は、「東日本大震災」という名称が、4月1日の閣議で決定されたそうだ。
それまでは、各メディアがばらばらの名称で表現していた。

個人的には、「震災」という名称はあまり好きではない。なんとなく、被害妄想的な味がする。「私たちはちっとも悪くないのに、ほかの誰か、ほかの何かが天から降ってきて私たちをいじめている」みたいなニュアンスが感じられるからだ。

私の誤解でしょうか?

大地震が起きたから、といって、原発がメルトダウンした(そのときは知らなかった)からといって、猫の給食はお休みできない。3月12日も13日も、週末担当として猫たちに給食した。

あまりよく覚えていないが、外の猫たちは普通だったと思う。

ところが、家の猫たちは、家が揺れるたびに、それぞれ異なる反応を示した。モモ(赤トラオス)は、外に地震モンスターがいると思ったらしい。ゆれるたびにガタピシ鳴るガラス戸に向かって、威嚇していたが、揺れがひどいと怖くなって毛布の下にもぐりこんだ。

ピーター(黒トラオス)は、家の中に地震モンスターがいると勘違いし、ちょっとでも揺れ始めると、外に逃げ出した。