2014年12月27日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 18:今年最後の週末


あっという間に2014年が終わってしまう。

自転車置き場では大黒丸、ミー子、シロ、カイ、ヘンリエッタ、みんな2014年を生き延びることができた。

大黒丸は年をとり、風邪を引いたり大怪我をしたりしたが、今は元気である。後を付いて回るカイを、うるさがりながらも、だんだん仲良くなっているようだ。ミー子は病気も怪我もしなかった。シロとカイは小さなけんかが絶えず、怪我もしたが、二匹の関係は少しよくなったようだ。ヘンリエッタは、口内炎もひどくならず、今は普通にご飯を食べることができる。

裏門は、茶々がいなくなり、時々来ていたミケシュもほとんど見かけなくなり、黒い子猫のサンボも見かけない。トミーだけが残ったようだ。でも、置いたご飯はあらかたなくなっているので、ただ私が言ったときにいないだけかもしれない。

2014年はおおむねいい年だったようだ。来年はどうなるかわからないが、心配しても仕方がない。給食を続けるだけだ。

写真はミー子とカイ。



2014 December 27 updated

2014年12月20日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 17:雨の猫サンクチュアリ


天気予報では午後雨だったので、いつもより早め、1時過ぎに給食に行った。

自転車置き場の管理人がいたので、ミー子の姿が見えたが、声をかけなかった。
その代わり、藪の中にご飯を置いてきた。裏門には誰もいなかった。時間が早すぎたのだ。

それにしても、最近裏門にいるのは、トミーだけだ。サンボを見たのは11月23日、茶々を見たのは11月9日が最後だ。どこに行ったのだろう。

写真は小雨の振る猫サンクチュアリ


2014 December 20 updated

2014年12月13日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 16:白黒戦争


人種差別の話ではない。猫サンクチュアリの黒猫、大黒丸とカイ、対白猫シロのいさかいだ。

大黒丸とカイはシロと折り合いが悪い。カイとシロの間には小さないさかいが絶えない、とMさんがメールに書いている。しかし、そのいさかいを人間たちに知られたのを、シロが気にしているのがおもしろい。

今日、給食に行き、大黒丸とミー子、シロが自転車置き場の奥のほうにいるのが見えたので、呼びに行ったが、食事場所にやってきたのは、大黒丸とミー子だけだった。しばらくたってから、また、シロを呼びに行くと、ようやくやってきた。やってきたが、大黒丸を見ると何か言いたいらしいが、人間がいるので我慢している様子だ。

折り合いが悪いのは、毛皮の色のせいではないと思う。性格の違いだろう。


写真は、今日トミーと見た東京の冬の空

2014年12月6日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 15:冬が来た


12月に入って突然寒くなった。外で暮らす猫にはつらい季節だ。
また、師走が近いので、自転車置き場から小学校の裏門までの遊歩道には、役所の清掃が入り、あわただしい。猫たちはひっそりとどこかに隠れている。

私が行ったときは清掃が終わりかけていて、ミー子と大黒丸しかいなかった。

写真は冬に咲く白い椿。


2014 Dec. 6 updated

2014年11月29日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 14:ちび黒サンボ


小学校の裏門の、小猫サンクチュアリには新しいメンバーがいる。今年の夏ころ生まれた黒い子猫だ。9月の終わりころから見かけるようになった。人を怖がってすぐ逃げるので、どういう猫かよくわからない。あっという間にどこかに消えていく黒い毛の固まりだ。

ちび黒サンボから「サンボ」と命名した。

そのサンボが先週の日曜日にいた。藪の中でご飯を待っていたが、私を見るとあっという間にいなくなった。ご飯を置くといつの間にか戻ってきているので、見に行くと、またいなくなる。写真を撮ることもできない。女の子だろうか、男の子だろうか。女の子だったら名前が「サンボ」ではかわいそうなので改名しなくてはいけない。

雨上がりのディナータイム。足が冷たい。


2014 November 29 updated

2014年11月22日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 13:黒猫連合


今日猫サンクチュアリに給食に行くと、大黒丸とカイが並んで座って待っていた。
少し離れたところにシロがいた。ミー子とヘンリエッタはどこからともなく出てきた。

食べている途中で、カイがシロに、「父ちゃんをいじめるな」と言うと、シロは、バン、とカイのお知りをたたいて、けんかが終了した。

裏門に行くと、トミーが藪の中から、「さびしかった、さびしかった」と叫びながら出てきた。トミーに会うのは三週間ぶりだった。

写真はけんかの直後

2014 November 22 updated

2014年11月15日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 12:大黒丸とカイ


大黒丸はもう12年もこの猫サンクチュアリに住んでいるので、このあたりでは有名な猫らしい。

先週、みんなにご飯を上げていると、老夫婦が通りかかり、奥さんのほうが「あら、大ちゃんがいる」と言っているのが聞こえた。大黒丸の名前をMさんから聞いたのかもしれない。

カイはまだ若い黒猫だ。最近大黒丸の後ろをついて回っている。

「とうちゃん、とうちゃん」
「俺はおまえのとうちゃんなんかじゃない」

そんなこと言わないで仲良くなればいいのに。寒い冬には一緒に寝ると暖かいよ。


2014 November 15 updated

2014年11月8日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 11:冬が近づいている



11月も半ば近く、空気が冷たくなり、冬が近づいている。日も早く落ちるようになり、給食の時間は薄闇だ。

大黒丸の前足の怪我はよくなったようだが、食欲があまりない。今日はドライフードを少し食べ、ミルクを飲んだ。去年よりだいぶやせてきた。この冬を越せるだろうか。心配である。

写真は、クチナシの木の後ろにいるシロ。



2014 November 8 updated

2014年11月1日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 10:大黒丸とシロ




先週の日曜日、大黒丸が前足をくじいたのか、びっこを引いているのに気づいた。Mさんによると、シロとけんかしたそうだ。大黒丸はシロとうまくやっていると私は思っていた。


大黒丸は、昔はよくソックスをいじめていたが、猫サンクチュアリの猫が次々にいなくなって、最後には大黒丸とソックスのふたりだけになると、仲良く寄り添うように生きていた。大黒丸も年をとって丸くなったと思っていたが、そうではなかったらしい。


今日は雨の土曜日で、給食場所に行くと、ミー子が濡れながら待っていた。ミー子もヘンリエッタととても仲良しとはいえない。みな、それぞれ孤独に耐えているのだ。


写真は先週、トミーと見た夕焼け。



2014 November 1st updated

2014年10月25日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 9:親友トミー



トミーは私の親友である。黄一郎がいなくなった今、猫サンクチュアリの猫でべたべた触れるのはトミーだけになった。

雨の多い週だったが、今日はよく晴れた。給食に行くと、裏門には誰もいなかったので帰ろうとすると、トミーに呼び止められた。門の脇の植え込みから出てきた。

すぐ近くにあるトミーの顔



2014 October 25 updated

2014年10月18日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 8:台風19号の前日、縞次郎



10月13日、また大きな台風がやってきた。台風10号だ。

その前日の日曜日、12日、裏門の猫サンクチュアリに行くと、茶々が留守でトミーだけだった。久々にゆっくりとミーと過ごすことができた。トミーはゆっくりご飯を食べ、デザートのマタタビを楽しみ、その後私のひざに前足とあごを乗せ、体を温めた。少し肌寒い季節になった。

縞次郎が現れたが、トミーに遠慮して、ご飯を食べた後は、少しはなれた場所に座り、私たちを見ていた。縞次郎はおとなしい猫なので、そのうち、トミーと友達になればいいと思う。

縞次郎は今年の6月くらいから、ご飯を食べにくるようになった。2、3歳前後の若い雄猫だ。


2014 October 18  updated

2014年10月11日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 7:台風18号の日



12日日曜日、朝から激しい雨が降っていた。台風18号の影響だ。

雨の日の給食は大変だ。少なくとも傘が3本必要だ。1本目は猫たちのため、2本目は食料の入ったバッグのため、3本目は自分のため。なのに、うっかり1本しか持って行かなかったので、猫たちに傘をさして、バッグも私もずぶぬれになった。

食べる猫たちも大変だ。この日は、大黒丸、ミー子、カイ、ヘンリエッタと出てきたので、全員は傘の中に入ることができない。藪の脇に移動して、大黒丸以外は藪の中での食事になった。それでも激しい雨に猫たちの毛皮が濡れた。

今日11日は晴れた。だが、台風19号が沖縄あたりに現れたという。明日あさって、晴れますように。

日が短くなったので、すでに夕闇だ。写真を撮るとミー子の目が宇宙人のように目が光った。



2014 October 11 updated

2014年10月4日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 6:台風前日


10月だと言うのに台風が近づいている。大きな台風らしい。

大気は湿り、空は暗い色の雲のせいで重たく、今にも雨が降りそうだ。

いつもより早めに行ったので、ミー子とカイにしか会えなかった。カイは風邪を引いて食欲がない。

裏門にも誰もいない。

写真は風邪を引いたカイ


2014年9月27日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 5:年に数回会うぼっちゃん


ぼっちゃんは年に数回見かける猫である。なぜ坊ちゃんかと言うと、頭の模様の黒い部分が、ちょうど子供の坊ちゃん刈りのようだからだ。

年に数回、と言ったが、似たような模様の違う猫に数回会っているのかもしれない。

ぼっちゃんは白黒猫なので、人間をよく見分ける。今日も、大黒丸とミー子にご飯をあげていると、当然のようにご飯をもらいにやってきた。多少警戒しているが、必要以上に用心深くはならない。

大黒丸ともめることもなく、食事が終わると静かに立ち去った。

写真は9月27日のぼっちゃん


2014 Sep. 27 updated

2014年9月20日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 4:ヘンリエッタのファンクラブ


ヘンリエッタは非常に美しい猫である。

昨年2013年、春ごろ、子猫のときに現れた。ぴかぴかの子猫だった。白の多いクロトラぶちで、白い毛皮は真っ白で、クロトラの大きな水玉の毛はつやつやだった。

今年の春、給食に行くと、ヘンリエッタが、発情期でくたびれた雄猫を従えて座っていた。ヘンリエッタが昨年避妊していたことを知らなかった私はあわてたが、彼女は涼しい顔をしていた。

それは猫の話だが、人間にもヘンリエッタのファンがいるらしい。そのファンは週末だけ現れて、ヘンリエッタに缶詰を貢いでいるらしい。なぜなら、彼女は、週末に私の持っていったご飯をあまり食べないからだ。

それから、これは大黒丸が大怪我をする前のことだが、夕食を終えたヘンリエッタが、シロやカイ、大黒丸と連れ立って小学校に入っていくのを目撃した。

写真は今年の春のヘンリエッタ


2014 Sep. 20 updated

2014年9月13日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 3:金目青目のシロ


ソックスのいなくなった後、大黒丸の近くにいるようになった猫たちは、シロ、ミー子、カイだ。

しかし、シロが大猫サンクチュアリの常連になったのは2010年だ。真っ白いコートに、黒い縞模様の尻尾のシロは、右目が金色で左目が青のおとなしい猫だ。発情期の間も顔を見せることが多い。シロはミルクが大好きだ。

2010年にミー子が突然現れたとき以来、ミー子とは仲がいい。

ミー子は、全身が黒や茶や黄色のちょっと変わった三毛模様で、現れたときは、すでに大人の猫だった。避妊済みで、首輪をしていたので、何か事情があって捨てられたのだろう。おしゃべりで愛想のいい雌猫である。

模様のせいか、大黒丸の横にいるミー子は、遠めで見るとソックスが生きていたのだろうか、と錯覚してしまう。

カイが現れたのも、大体ミー子と同じ時期だと思う。そのときカイはまだ大人になったばかりだった。今でも、大黒丸を少し怖がっているようだ。

写真は、大黒丸と彼岸花



2014 September 13 updated

2014年9月6日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 2:大黒丸の災難


8月は猫の発情期だったようだ。去勢していないシロ、カイが横腹に怪我をして、大きな傷口になっていた。特に白猫のシロの毛皮は、血のせいであちこちピンク色に染まり、あいた傷口は痛そうだ。カイの怪我も決して小さくないが、シロもカイも若いせいか、なんでもないような顔をしてご飯を食べに出てくる。

大黒丸が先週の金曜日から姿を見せず、心配したMさんが探し回ったところ、土曜日、自転車置き場の中の自転車の下にうずくまっていたそうだ。日曜日にMさんと待ち合わせて大に会ったが、横腹に大きなこぶのようなものがあり、あまり動きたくないようだった。食欲もまったくなかった。

Mさんは、がんじゃないか、と疑った。私も重大な病気に違いない、と思った。大黒丸はもう13歳かそれ以上で、外で過ごす猫としてはとても高齢だ。病院に連れて行けたとしても、過激な治療を受けさせるのはかわいそうだ、と、Mさんも私も考えたので、様子を見ることにした。

大黒丸と別れるときには、もう会えないような気がした。

昨日の夜、Mさんからメールが来るまでの1週間、とてもつらかった。ほとんどずっと大黒丸のことを考えていたからだ。

メールによると、月曜日、Mさんは、大黒丸の横腹にあったこぶが破れているのに気づいたと言う。大黒丸は病気ではなく、発情期のけんかに巻き込まれて怪我をしたのだろう。
大黒丸は怪我の傷が化膿して、熱が出て体力がなかったので、捕まえて、獣医に見せることができたそうだ。

獣医に打ってもらった注射のせいか、今日私が会った大黒丸は先週末の衰弱がうそのように元気そうだった。食欲もあり、ご飯をたくさん食べた。本当によかった。

Mさんは、あらゆる意味で、大黒丸の命の恩人である。

写真は今年の大黒丸。


2014 September 6 updated

2014年8月30日土曜日

猫サンクチュアリ年代記2 1:年をとった大黒丸


大黒丸は年をとった。ソックスがいなくなってから急におじいさん猫になった。大黒丸は黒猫だが、黒い毛に白髪も混じり、やせて、性格も穏やかになった。皮膚病になったり、風邪を引いたりすると、Mさんから薬をもらっている。

2014年の5月にもひどい風邪を引き、食欲がなかったが、Mさんから風邪薬をもらって、1週間ほどで回復した。

今年の夏は暑さが厳しく、夜になってもほとんど気温が下がらず、湿気もひどく、外で過ごす猫にとっては最悪の環境だった。8月の末になってようやく涼しくなったが、急に気温が下がり、、また風邪を引いた。

大黒丸の周りには今、ミー子、シロ、カイ、ヘンリエッタがいる。
2014 Aug. 30


2014年8月23日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 21:その後の猫サンクチュアリ


ソックスがいなくなった後、大猫サンクチュアリに一人残された大黒丸は、どうなっただろうか。

小猫サンクチュアリのトミーは、黄一郎がいなくなっても元気だろうか。

2014年も夏の終わり、大黒丸の周りには、ミー子、シロ、カイ、ヘンリエッタがいる。
トミーも、最初は険悪だった茶々と、次第に仲良くなりつつある。

来週から、タイトルを改め、「猫サンクチュアリ年代記2」として、彼らのその後の様子をリアルタイムで書いていきたい。

ひとまずは、これでおしまい。


2014年8月16日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 20:黄金色の黄一郎


黄一郎に初めてあったのは、2004年の春ころだっただろうか。

それまで、自転車置き場の大猫サンクチュアリでしか給食していなかったが、夫が、小学校の門の辺りにかわいい猫がたくさんいるみたいだ、と言ったので、行ってみた。

黄一郎は山吹色の美しい縞の、一歳に満たない雄猫だった。耳に去勢済みの印のピアスをはめていた。育ての親のマリと暮らしていたが、10月にトミーが登場してからは三頭の家族になった。

コゼットが登場するのは2005年5月だ。そのころはマリはもういなかった。コゼットは黄一郎にとっては家族ではなかったのだろうか。コゼットを追い掛け回すのを何度か見た。近くでトミーが心配そうに見ていた。しかし、ときどき追い掛け回すくらいでそれ以上の意地悪はしなかった。

金茶が現れてコゼットのいなくなる2012年3月まで、なんとなく、小猫サンクチュアリは黄一郎が中心だった。

2007年の秋から冬にかけて、ぜんぜん見かけなくなったので、心配していたが、数十メートル離れた殺風景な二階建てアパートの砂利時期の前庭にトミーと二頭でいるのを見かけて安心したことがある。それからまた、2013年の9月まで、小猫サンクチュアリに行くと、必ずと言っていいくらい、黄一郎がいた。

2012年ころから、黄一郎の毛が薄くなり始めた。汚い毛が全部落ちて、やわらかいがあまり防寒には役に立ちそうにないふわふわの毛になった。2012年の冬は越せないかもしれないと思っていたので、冬を越し、2013年の春にも元気だったので、うれしかった。

だが、2013年の9月から、さっぱり姿を消した。

黄一郎は、人間の私たちには愛想のいい猫だった。病気で苦しそうだったり、不機嫌だったりだったことは一度もない。

寒い冬は特にひざに乗るのが好きだった。最後の二三年は、夏の暑いときもひざに乗ってきた。体温が落ちていたのかもしれない。

九年の歳月、小猫サンクチュアリの黄一郎の周りは、黄金色の毛皮で明るく照らされていた。


2014年8月9日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 19:美少女コゼット


コゼットが小学校裏門あたりの小猫サンクチュアリにやってきたのは、2005年の5月、大迫害の始まる前だった。そして、2012年3月を最後にいなくなった。

コゼットは、やってきたときはまだ生後半歳くらいだったが、もう妊娠していたので、6月にMさんが避妊手術を受けさせてくれた。

コゼットはほぼ全身黒トラのものすごい美少女だった。トミーがよく面倒を見ていたが、トミーと中のいい黄一郎はそれが気に入らず、よくコゼットをいじめていた。トミーは自分が子猫のとき面倒を見てくれた黄一郎がとても好きだったので、困っただろう。

それでも、それから7年近くの歳月を、トミーと一緒に過ごすことができた。美少女だったコゼットも、まるまるしたおばさん猫になった。

コゼットがいなくなったのは、金茶が現れたからだ。

2012年2月ころ現れた金茶は、がっしりした威勢のいい金色のトラ縞の雄の成猫で、尻尾がなかった。三毛猫の妻と娘たちを引き連れてやってきた。自分の家族を守るためだろう、トミーや黄一郎を追っ払おうとしていた。

トミーや黄一郎はがんばったが、コゼットは去勢していない大人の雄には勝てなかったのだろう。2014年になって金茶はまた、どこかに移動したらしく、みかけなくなった。コゼットが帰ってくるといいのだが。

写真は小雪


2014年8月2日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 18:白い手のソックス


また、自転車置き場の大猫サンクチュアリに戻ろう。

以前書いたように、2010年の冬に小雪が死んだ後、当初のメンバーで残ったのはソックスと大だけになった。そして、ソックスも2011年6月にいなくなった。姿を見たのは6月12日が最後だ。

ソックスは、数年前から口の具合が悪く、苦しんでいた。それが口内炎だと知ったのは、ソックスの死後、自宅の猫が口内炎になったからだ。

ご飯を食べているとき、ソックスが突然痛みで叫ぶことがあったが、どういうわけか、雪が起こってソックスを平手打ちしていた。つまり、ソックスは雪がまだ元気なころから口内炎にかかっていたのだ。

大と二人っきりになってからは、一気に具合が悪くなったような気がする。私と M さんは、獣医からもらった一番弱い抗生物質を、缶詰にくるんであげていたが、缶詰を食べられる日もあれば、そうでない日もあり、私たちはソックスの食欲に一喜一憂していた。

ソックスに会える日が残り少ないことをうすうす知ってはいたが、いなくなる前の日まで、がんばってご飯を食べていたので、その日がソックスに会う最後の日だとはわからなかった。

ところで、大だが、ソックスと二人っきりになるまで、ソックスにやきもちを焼いてよくいじめていた。猫おばさんたちはそろってソックスが大のお気に入りだったからだ。ソックスは、ちょっと変わった色合いの黒トラで、手足の先が白く、まるでソックスをはいているようだった。それで、ソックスと言う名前がついたのだろう。

ソックスも大も、2002年にはすでに猫サンクチュアリのメンバーだった。たぶんソックスは元飼い猫で、捨てられた直後だったのではないかと思う。ほかの猫にチーズを揚げていると、藪の中に隠れて、にゃあにゃあないていた。

私は、若いときの、ぴかぴかした美しい毛皮のソックスも、毛が唾液でよじれてぱさぱさになったソックスも知っている。ちょっと変わった曲がり方をした長い尻尾も覚えている。

十年近い年月の間、ソックスに会ったのは、週末のほんの数十分だ。なのに、ソックスのことを思うと、どうしてこんなに心が痛むのだろう。

写真は黒雪
 

2014年7月26日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 17:怒りっぽいザブ


2010年2月に小雪が死んで、大猫サンクチュアリには、大黒丸とソックスだけが残された。ご飯を食べにくるが、そのうちいなくなる猫たちはいたが、発情期のたびに冒険に出て、帰ってこなかった猫が多い。猫の事情、猫おばさんたちの事情で、去勢できなかったのは残念だ。

小学校の裏門の、小猫サンクチュアリはどうなっただろうか。

マリ、ステラ、リシュリュー、ルイがいなくなった小猫サンクチュアリだが、黄一郎、トミー、コゼット、ザブがその主なメンバーで、中でもザブは、私が給食を始める前からそこにいた古株の雌猫だ。

ザブは、給食場所の横にある白い二階建ての家の庭に住んでいたが、その家の飼い猫ではなかったそうだ。黒と茶色とそのほかの色がごちゃごちゃに混ざった模様の猫で、非常に怒りっぽかった。愛想もよくなかった。

ザブは、ドライフードより、缶詰とドライフードを半々にまぜた、缶詰ご飯が大好きで、器に入れるのに手間取ると、時々つめで引っかかれた。

病気で具合が悪いようには見えなかったが、2007年8月を最後にいなくなった。

ザブのいなくなった小猫サンクチュアリは、句点のない文章のように、しまりがなくなったように思えた。


2014年7月19日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 16:一人遊びが好きな小雪


小雪は雪の娘だ。2002年にはもう、雪と一緒に大猫サンクチュアリにいた。白い部分の多い白黒猫で、非常に美しく、シャイと言うより一人でいるのが好きな猫だった。誰もいなくなった夕方の猫サンクチュアリで、走ったり木に登ったり、自転車のかごに飛びついたり、中で寝転んだりして遊んでいた。

母親の雪との絆は意外に強く、雪が大迫害を逃れて近くの自動車用駐車場に避難していたときも、後を追ってやってきた。そのころ私は雪を含めて小雪、カンジの三匹の猫に、毎晩ご飯を運んでいた。盛大に歓迎の声を上げる雪のはるか後ろに、小雪の姿がいつもあった。

雪と同様、ほかにも人間の友達がいたのだろうか、数ヶ月姿を見ないことがあったが、ある日、自転車置き場の奥のほうを小雪が歩いているのを見かけたので、安心したことがある。

小雪もまた賢い猫だった。冬の寒い夕方、自転車置き場の植え込みにある背の低い街灯の上に座り、手足を温めていた。蛍光灯なのでそんなに暖かくはなかっただろうが。

雪が死んだのは2009年の7月だった。クロードがいなくなったのも2009年の夏だ。

それから約半年後、2010年の2月1日、小雪は動物病院で死んだ。2009年の秋、病気で倒れていたのをNさんが救助し、自宅に連れて帰り、病院で治療を受けていたのだ。ある種のがんだったそうだ。何回か入院し、何回か猫サンクチュアリに脱走したそうだ。

最後は病院の、乾いた暖かいベッドで死んだのだが、それは彼女にとってせめてもの救いだと思う。

夕方の猫サンクチュアリで今も一人遊んでいる猫、それが小雪だ。


2014年7月12日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 15:スカートをはいた雪


雪は白黒猫の雌で、2002年にはすでに猫サンクチュアリにいた。避妊する以前に生んだ娘の小雪がいた。避妊前は梅太郎とカップルで、小雪は彼らの娘だろう、とMさんが教えてくれた。

黒の多い白黒猫で、頭から尻尾の先まで、黒い毛皮に覆われていたが、尻尾の付け根辺りに白い筋が入り、まるでスカートをはいているようだった。顔は、鼻から下は白く、胸も腹も、手足の先も真っ白だった。

彼女は非常に賢い猫だった。私がいつも給食の後、ケーキ屋兼喫茶店で休憩しているのを知り、それで、時々、ケーキ屋まで探しに来るようになった。入り口のガラス戸越しに中を覗いているのだ。

彼女はまた、社交的な猫で、私たちのほかにも、人間の友達が複数いるようだった。梅太郎が死んだあと、駐車場に避難している間、私以外に、彼女に毎晩缶詰を運んでいる中年の男性もいた。駐車場の近くにも、彼女のなじみの家があるらしかった。

彼女は、大迫害以前にも、時々、一ヶ月くらいの単位で姿を消すことがあったが、それを知って以来、心配するのをやめた。

一番印象に残っているのは、雨上がり、私のかさの周りをぐるぐる回って遊んでいる、雪の姿だ。

雪もまた、私には不死身に思えた。ずっと猫サンクチュアリで生き続けるような錯覚が私にはあった。

だが、2009年2月から、さっぱり姿を見なくなった。いつもの放浪かと思ったが、6月になっても姿を現さなかった。ようやく7月18日、給食の時間に現れた。だが顔に生気がなく、何も食べなかった。後で、別れをつげに来たのだ、とわかった。


2014年7月5日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 14:やさしい黒猫、クロード


大猫サンクチュアリの第一世代が、ジロー、シロー、梅太郎、雪だとすると、第二世代は大黒丸、ソックス、クロード、歌麿、アンナ、小雪、第三世代は黒雪とちびサスケだ。

第二世代には黒猫が二匹いた。クロードと大黒丸だ。だが、まったくタイプが違った。クロードは、尻尾の長いほっそりした黒猫で、雌猫のように美しく、おとなしい猫だった。一方、大黒丸は、尻尾は短く、いかつい体格で、押しが強く、やきもち焼きだ。

クロードは、大黒丸よりも遅く、2004年の秋ころに、猫サンクチュアリに現れた。そして、2005年の春に、歌麿や小猫サンクチュアリのトミーと一緒に虚勢手術を受けた。

Mさんが、クロードはおとなしいから去勢しなくても大丈夫じゃないかしら、と言うくらい、おとなしかった。それでも、去勢したほうがけんかの回数が圧倒的に減るし、場所を移動しなくなり、生き残れる確率が高くなるのだ。

クロードは、なんとなく小雪と仲がよさそうだった。目立たないようにだが、小雪のそばにいることが多かったからだ。

2005年の暮れに始まった大迫害時代を生き延びたクロードだったが、2009年7月を最後に、姿を見なくなった。猫サンクチュアリの近くに住む家の人によると、その夏、子猫を二匹保護したのだが、その子猫の様子を毎日見に来ていたそうだ。

クロードはどこに行ったのだろう。


2014年6月28日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 13:黒雪とちびサスケ


黒雪がやってきたのは、猫サンクチュアリが迫害の真っ最中だった2006年6月だった。ちょうど梅太郎と入れ違いに現れたことになる。黒雪は黒の多い白黒の雌猫で、まだ子猫といっていいくらい幼かったが、非常に賢かった。

6月には避妊手術を受けた。

黒雪が死んだのは2007年の11月で、1年と半年の短い生涯だった。

サスケが現れたのは2007年9月だ。サスケは、以前小猫サンクチュアリでトモ子と一緒にいたサスケにそっくりな、全身黒トラのほっそりした猫だった。いつも黒雪と一緒にいたが、黒雪が死ぬと、数日後に佐助も死んだ。

黒雪は猫サンクチュアリのメンバーになってからも、ほかのメンバーともめたことはない。控えめだったが、しっかりした猫だった。サスケを弟のようによくかわいがっていたが、もちろん血のつながりはないだろう。

黒雪とサスケがなぜ死んだのか、今でもわからない。Mさんから電話があって、猫サンクチュアリに行くと、ジローが使っていた猫ハウスの横に黒雪が死んで横たわっていた。サスケは、猫ハウスに横たわり、悲しそうにそれを見ていた。サスケはその数日後、猫ハウスで死んだ。

私にとって、世の中には納得のいかないことがたくさんあるが、黒雪とサスケの死もそのひとつだ。


写真は、梅太郎とアンナ

2014年6月21日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 12:不機嫌なゴロー


ゴローはいつも不機嫌だった。そして、ゴローには秘密があった。

ゴローはすでに大人になってから現れた。2歳前後たったと思う。細い微妙な黒縞柄で、顔から首、胸とおなかは真っ白の、結構素敵な外見だった。

2004年から2005年の8月ころまで、猫サンクチュアリでご飯を食べていたが、あまりにほかの猫とうまくいかなかったせいか、よそでご飯をもらったりしていたが、そのうち、ほかのコロニーに移ってしまった。

猫サンクチュアリでうまくいかなかったのは、ゴローがいつも不機嫌だったからだ。ほかの猫とうまくやろうという気持ちが全然なかったようだ。

私たちに対しても、常に不機嫌で、気に入らないことがあると、すぐに猫パンチを繰り出した。

ゴローは、夕方5時になると、給食の時間であっても、いなくなった。後で気づいたが、誰かを待っているかのように、地下鉄の入り口に座っていた。

本当に誰かを待っていたのかもしれない。彼を捨てた飼い主が、また戻ってきて家につれて帰ってくるのをずーっと待っていたのかもしれない。待っても待っても飼い主は現れず、そのせいでいつも不機嫌だったのかもしれない。悲しみで胸が張り裂けそうで、それが不機嫌に見えたのかもしれない。

ゴローは、猫サンクチュアリでご飯をもらいながら、地下鉄の入り口にあるケーキ屋に入り込もうとした時期がある。台風の日とか、冬の寒い日とか、何気なく自動ドアからさっと入り込み、隅に隠れるのだが、見つかって追い出されたのを、何回か目撃した。

店の裏にゴロー専用のダンボールが置いてあるらしかったが、それは気に入らなかったようだ。

夏の暑い日は、公衆電話ボックスもゴローの昼寝の場所になった。

最後は、ケーキ屋から少し離れた、トラックの駐車場にいたらしかったが、そこで交通事故にあった。トラックにひかれたのだ。しばらくしてから、ケーキ屋の店主に聞いた。

ゴローはまだ若く、運動神経も衰えていなかったから、事故で死んだとは思えない。飼い主を待っているのがいやになったのかもしれない。


2014年6月14日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 11:絹の毛皮を着たアンナ


アンナは2002年にすでに大猫サンクチュアリにいた。避妊していたが、まだ二歳に満たないように見えた。小柄で内気な雌猫だった。白い部分の多い白黒猫で、黒い大きな水玉がひとつずつ、頭と背中にあった。尻尾も黒かった。毛皮はシルクのような手触りで、白い部分は汚れのまったくない真っ白だった。

アンナにはボーイフレンドはいなかった。親しい猫はジローだけだったが、ほかの猫ともうまくやっていた。

内気な猫だったので、しばらくは触ることもできなかった。だんだん慣れてきて、寒い冬になると、ご飯の後、ひざに乗ったまま降りようとしなくなった。よほど寒かったのだろう。

アンナは迫害の一番激しかった2006年の5月に疥癬にかかったが、Mさんと私とで薬を飲ませ、回復した。

ジローが死んだのは2006年12月だが、アンナはその翌年、2007年3月、突然いなくなった。アンナは給食のときにいつもいたので、いなくなるなんてことは考えもしなかった。そのうち出てくるだろうと思っていたが、そのままどこかに消えてしまった。

アンナはどこに消えたのだろう。アンナの毛皮のシルクの手触りは、まだ私の手の記憶に残っている。