2014年4月27日日曜日

猫サンクチュアリ年代記 5:迫害の時代


さて、いよいよ猫サンクチュアリの迫害の時代について、書かねばならない。

憎しみというのは恐ろしいものである。また、悪い人の声はいい人の声より大きい。

猫サンクチュアリを襲った迫害の、そもそもの発端は、小学校の正門側、小猫サンクチュアリの反対側にあった空き地の猫のコロニーだ。そこにも大勢の猫たちが暮らしていて、マンションの建設が始まるまで、工事現場の宿舎があり、そこに出稼ぎに来ている人々が猫たちにご飯を上げていた。

マンションの工事が始まると、出稼ぎに来ていた人たちはいなくなり、代わりに、別の猫おばさんたちがご飯をあげていたが、その場所が小学校から丸見えになり、PTA が、猫の不潔なご飯が子供たちの給食に混ざると大変だ、と騒ぎ出した。そこから、小学校のある町内会、区役所などを巻き込んで、大騒ぎになった。

猫サンクチュアリにも、「猫にえさをやってはいけない」という看板が、並木道にぶらさげられ、ご飯を上げていると、自転車置き場の管理人に文句を言われるようになった。

それに乗じたおかしな人々が、陰険ないたずらをするようになった。

寒い冬が迫っていた。いつもなら、猫サンクチュアリの茂みのあちこちに、ダンボールや発泡スチロールの猫ハウスが、猫たちを冷たい雨や雪から守ってくれるのだが、2005年の暮れ以来、置いても置いても壊された。

給食時にこれなかった猫たちのためにドライフードを置くと、そこに、胡椒や唐辛子が入れられた。水の容器はひっくり返された。これは2007年ころまで続いたが、猫ハウスはいまだにおくことはできない。「猫にえさをやるな」という看板は、今でもあちこちにあり、時々新しくなる。

それまで、猫サンクチュアリに昼休みにやってきて、お弁当のおかずを猫たちに分けてやっていた、地下鉄の職員も、これなくなった。

それでも、ご飯を上げていると、猫たちのために、とカンパしてくれる人もいたので、すべての人が意地悪だったわけではない。むしろ、本当に意地悪な人はそんなにいないのだと思う。ただ、声が大きいだけだ。何か自分より弱いものを声高に攻撃するほうが簡単だからだ。

路上での生活が厳しいのは、猫にとっても人間にとっても同じだ。だが、もし、この迫害がなければ、多くの猫はもう少し長く生きられたのではないかと思う。


2014年4月20日日曜日

猫サンクチュアリ年代記 4:黄金丸、マリ、トモ子、サスケ


猫サンクチュアリの大迫害の前に、黒おじいちゃんのほかにまだ4匹の猫が猫サンクチュアリに別れを告げなければならなかった。

黄金丸は、2004年の初めに私が猫おばさんのレギュラーメンバーになったときから、給食の時間に現れるようになった猫だ。山吹色のトラ縞の雄で、気のいい年取った猫で、大猫サンクチュアリのすぐ横にある小学校の人気者だったそうだ。いつもひどい風邪を引いていた。

そのころ、私は安い小皿をたくさんスーパーで買い、猫の給食で使っていた。あるとき、黄金丸は、ベンチから下の石畳にご飯を入れた陶器の皿を落としてしまった。そのときの黄金丸の情けない顔が忘れられない。

黄金丸を最後に見たのは2004年の秋だと思う。

マリ、トモ子、サスケは、小猫サンクチュアリの猫だった。

マリもまた、年取った猫だった。全身赤トラのやさしい雌で、2004年11月に突然現れた子猫のトミーの母親代わりだった。控えめだが、人によく慣れていた。冬が来る前にMさんがマリのために猫ハウスを作って、壊されないように、「年取った猫なのでいたわってください」というお願いをハウスに貼った。しかし、マリは2004年のどこかで姿を消した。病気だったのかもしれない。

小学校の裏門にトミーをつれて座っている姿を覚えている。

トモ子とサスケはカップルだ。たぶん避妊、虚勢済みだったのだろう。トモ子は白黒の雌猫で、サスケは全身トカゲのような、ほっそりした黒トラ雄だった。仲のいい二人だったが、ほかの雄猫(黄一郎)がトモ子をいじめても、サスケはすぐ近くで見守っているだけだった。助けに入ると、余計こじれるのかもしれない、と私は思った。

2012年に夫が、サスケにそっくりの、マンションの自転車置き場にいる子猫を保護したが、子猫は今は大猫になり、のんきに暮らしている。彼はサスケの生まれ変わりかもしれない、と最近気づいた。

トモ子を最後に見たのは2005年の1月で、サスケもしばらく姿を消していたが、2005年の5月に一度姿を見せた。それが最後だ。


2014年4月13日日曜日

猫サンクチュアリ年代記 3:黒おじいちゃん


黒おじいちゃんと私たちが呼んでいた猫は、年取った全身真っ黒な雄猫で、2004年の初めのころまで、小学校の裏門あたり(小猫サンクチュアリ)にいた。

何歳だったのかはわからない。穏やかで人間を恐れない猫だった。小学校の塀の上で昼寝をしたり、ぶらぶら歩いているのをよく見た。もう一人の猫おばさん(M子さん)が、かわいそうに思って、トミーたちとは別の場所でご飯を上げていた。

その年の9月のころ、黒おじいちゃんは、自転車置き場に移動してきた。移動してきた理由はわからない。

9月10月は雨の多い月で、10月になると寒い日もあった。週末の給食の後、よくひざに乗ってきたのは寒かったからだろう。次郎と2匹で並んでひざに乗っていた。もう少し私も我慢して、もう少し長くひざに乗せていてあげていたら、と後悔している。

10月の27日、黒おじいちゃんは、自転車置き場の前の小さな広場で死んだ。M子さんがメールで知らせてくれた。


猫サンクチュアリ年代記 2-2:2002年~2004年 猫サンクチュアリの平和な時代 小猫サンクチュアリ



もうひとつの、小学校の裏門あたりの猫サンクチュアリには、マリ(赤トラ、雌)、黄一郎(赤トラ、雄)、ザブ(黒トラ、雌)、トモ子(白黒、雌)、ステラ(茶シロ)、リシュリュー(赤トラ長毛、雄)、金太郎(黒長毛、雄)などがいた。


その後、トミー(白黒、雄)、コゼット(黒トラ、雌)が加わった。トミーは来たときは子猫だったので、マリと黄一郎が育てた。マリがいなくなったあとも、黄一郎はよくトミーの面倒を見ていた。コゼットがやってきて、トミーとカップルになった後も、黄一郎とトミーの絆は強く、コゼットが嫌いな黄一郎にもトミーは我慢していた。


2014年4月6日日曜日

猫サンクチュアリ年代記 2:2002年~2004年 猫サンクチュアリの平和な時代


さて、2002年から猫サンクチュアリでの猫たちとの付き合いが始まったが、まだ、私は猫たちに「責任を持って」ご飯を運ぶ猫おばさんたちのメンバーではなかった。

当時は猫おばさんが4人、猫おじさんが1人いた。猫おばさんたちはそれぞれの持ち場があり定期的に食事を運んでいたが、猫おじさんは、それ以外のこと、猫サンクチュアリの見回り、猫ハウスの手入れなどをやっていたそうだ。

2002年、週末、私が猫サンクチュアリに通い始めたころ、そこにいたのは、ジロー、シロー、梅太郎、雪、小雪、ソックス、大黒丸、アンナだった。そのほかにも猫たちはいたが、私の差し出すチーズやカツブシを食べようと近づいてこれるのは、この7頭だった。彼らは全員避妊、虚勢していた。手術の費用を出したのは猫おばさんの一人で、あるとき、旅行のためにためたお金を、猫たちのために使ったそうである。

自転車置き場の猫サンクチュアリには、リーダーの雄が3頭いた。ジロー、シロー、梅太郎だ。三頭は平和に猫サンクチュアリを治めていた。

ジローは全身黒トラ、長い尻尾の大人の猫だった。後に猫サンクチュアリにやってくる歌麿と仲良くなった。雌猫のアンナとも仲がよく、アンナの背中に足を乗せて毛づくろいしたりしていた。

アンナは白の多い白黒猫で、内気だったが、毛皮はシルクのように見事な手触りだった。

シローは黒トラ模様の尻尾以外は真っ白で目は青い、性格の穏やかな猫だった。暇つぶしに猫の写真を撮って回る人間に抱かれても平気なのは、シローだけだった。後にシローは口内炎をわずらい、毎日猫おばさんから抗生物質を飲ませてもらうことになる。

梅太郎は、立派な白黒猫だったが、以外におしゃべりで、週末に猫サンクチュアリを訪れると、大声で泣きながら走ってよってきた。

雪と小雪は梅太郎と同じ白黒猫で、親子だった。母親の雪のほうが黒い毛皮が多く、尻のあたりには黒い毛皮の間に白い筋があり、まるでスカートをはいているように見えた。とても賢い猫で、当時給食の帰りに私が喫茶店に寄るのに気づき、店の入り口から中を覗き、私を探したりしていた。

小雪は白い毛皮のほうが多く、その毛皮は若さに輝いていた。夜、人気のなくなった自転車置き場を走り回り、木に駆け上り遊んでいるのを見かけた。寒い冬は、植え込みの街頭の上に座り、足を温めていた。小雪も賢かったのだ。