2014年5月31日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 9:ジロー、聖地を作る


どのような猫、あるいは動物の死も等しく痛ましいものだ。ジローやカンパパの死だけを私が記憶しているわけではない。しかし、猫サンクチュアリに給食に行くたび、私はカンパパの自殺した路上を通り過ぎ、ジローが死後二日ほどを過ごした潅木の茂みを通り過ぎるのだ。そのたびにいつも思い出すわけではないが、ひとたび思い出すと、ジローの場合は胸がしんとなり、カンパパの場合は胸がひどく痛む。

この二人には、成熟した立派な雄猫で、ほぼ同じ時期に死んだという以外、あまり共通点はない。
ジローは大猫サンクチュアリのリーダーで、カンパパは時折給食のときに来ていた一時的な訪問者だった。カンパパは、たまにくるお客らしく、目立たないようにご飯を食べていたし、二人がいがみ合ったりけんかしたりしたことはないはずだ。

まず、ジローについて書こう。

ジローは大猫サンクチュアリのリーダーの一人で、すでに去勢済みの、大柄な雄猫だった。全身黒トラで、胸の部分が白く、晩年はいつも風邪を引いていた。歌麿やアンナと仲がよかった。

梅太郎やシローは、自分の体を私に触らせてくれたが、ジローは自分から寄っては来ても、こちらから触わることはできなかった。給食の終わった後、黒おじいちゃんと二人、私のひざでくつろぐことも会った。黒おじいちゃんがいなくなってからも、冬の寒い日は、給食の後、しばらくひざに乗っていた。帰り際に着ていた赤いナイロン製のジャンパーをベンチに置いておくと、しばらくそこに座っていたようだ。

この赤いジャンパーはジローのお気に入りで、猫ハウスの撤去された迫害最初の年には、藪の中にこっそり敷いてやった。ジローのなきがらを包んだのもこの赤いジャンパーだ。

ジローが死んだのは、迫害の最初の年2006年12月だ。この年のはじめごろからだろうか毛が薄くなり、弱ってきているように見えた。最後まで、自転車置き場を囲む低いレンガ塀をのぼり、給食に歩いて現れた、とMさんから聞いた。

動けなくなったジローを、Mさんは、近くの親切な家に緊急用に置かせてもらった猫ハウスに運び、寝かせたが、翌日死んだ。私たちはジローを猫ハウスから出し、赤いジャンパーにくるみ、市役所から取りに来るまで、ジローを猫サンクチュアリの潅木の茂みに置いた。

ジローは、内臓のすべての機能を使い尽くし、停止するまでよく生きた、猫だ。

その週末、給食に行き、ジローの寝ている場所の横を通り過ぎるとき、赤いジャンパーが見えたので、ああ、まだジローはいる、と思ったものだ。ジローがいなくなってからも、その場所は私にとって心がしんとする聖地になった。ジローによって猫サンクチュアリは、本当にサンクチュアリになった。

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