2014年6月28日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 13:黒雪とちびサスケ


黒雪がやってきたのは、猫サンクチュアリが迫害の真っ最中だった2006年6月だった。ちょうど梅太郎と入れ違いに現れたことになる。黒雪は黒の多い白黒の雌猫で、まだ子猫といっていいくらい幼かったが、非常に賢かった。

6月には避妊手術を受けた。

黒雪が死んだのは2007年の11月で、1年と半年の短い生涯だった。

サスケが現れたのは2007年9月だ。サスケは、以前小猫サンクチュアリでトモ子と一緒にいたサスケにそっくりな、全身黒トラのほっそりした猫だった。いつも黒雪と一緒にいたが、黒雪が死ぬと、数日後に佐助も死んだ。

黒雪は猫サンクチュアリのメンバーになってからも、ほかのメンバーともめたことはない。控えめだったが、しっかりした猫だった。サスケを弟のようによくかわいがっていたが、もちろん血のつながりはないだろう。

黒雪とサスケがなぜ死んだのか、今でもわからない。Mさんから電話があって、猫サンクチュアリに行くと、ジローが使っていた猫ハウスの横に黒雪が死んで横たわっていた。サスケは、猫ハウスに横たわり、悲しそうにそれを見ていた。サスケはその数日後、猫ハウスで死んだ。

私にとって、世の中には納得のいかないことがたくさんあるが、黒雪とサスケの死もそのひとつだ。


写真は、梅太郎とアンナ

2014年6月21日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 12:不機嫌なゴロー


ゴローはいつも不機嫌だった。そして、ゴローには秘密があった。

ゴローはすでに大人になってから現れた。2歳前後たったと思う。細い微妙な黒縞柄で、顔から首、胸とおなかは真っ白の、結構素敵な外見だった。

2004年から2005年の8月ころまで、猫サンクチュアリでご飯を食べていたが、あまりにほかの猫とうまくいかなかったせいか、よそでご飯をもらったりしていたが、そのうち、ほかのコロニーに移ってしまった。

猫サンクチュアリでうまくいかなかったのは、ゴローがいつも不機嫌だったからだ。ほかの猫とうまくやろうという気持ちが全然なかったようだ。

私たちに対しても、常に不機嫌で、気に入らないことがあると、すぐに猫パンチを繰り出した。

ゴローは、夕方5時になると、給食の時間であっても、いなくなった。後で気づいたが、誰かを待っているかのように、地下鉄の入り口に座っていた。

本当に誰かを待っていたのかもしれない。彼を捨てた飼い主が、また戻ってきて家につれて帰ってくるのをずーっと待っていたのかもしれない。待っても待っても飼い主は現れず、そのせいでいつも不機嫌だったのかもしれない。悲しみで胸が張り裂けそうで、それが不機嫌に見えたのかもしれない。

ゴローは、猫サンクチュアリでご飯をもらいながら、地下鉄の入り口にあるケーキ屋に入り込もうとした時期がある。台風の日とか、冬の寒い日とか、何気なく自動ドアからさっと入り込み、隅に隠れるのだが、見つかって追い出されたのを、何回か目撃した。

店の裏にゴロー専用のダンボールが置いてあるらしかったが、それは気に入らなかったようだ。

夏の暑い日は、公衆電話ボックスもゴローの昼寝の場所になった。

最後は、ケーキ屋から少し離れた、トラックの駐車場にいたらしかったが、そこで交通事故にあった。トラックにひかれたのだ。しばらくしてから、ケーキ屋の店主に聞いた。

ゴローはまだ若く、運動神経も衰えていなかったから、事故で死んだとは思えない。飼い主を待っているのがいやになったのかもしれない。


2014年6月14日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 11:絹の毛皮を着たアンナ


アンナは2002年にすでに大猫サンクチュアリにいた。避妊していたが、まだ二歳に満たないように見えた。小柄で内気な雌猫だった。白い部分の多い白黒猫で、黒い大きな水玉がひとつずつ、頭と背中にあった。尻尾も黒かった。毛皮はシルクのような手触りで、白い部分は汚れのまったくない真っ白だった。

アンナにはボーイフレンドはいなかった。親しい猫はジローだけだったが、ほかの猫ともうまくやっていた。

内気な猫だったので、しばらくは触ることもできなかった。だんだん慣れてきて、寒い冬になると、ご飯の後、ひざに乗ったまま降りようとしなくなった。よほど寒かったのだろう。

アンナは迫害の一番激しかった2006年の5月に疥癬にかかったが、Mさんと私とで薬を飲ませ、回復した。

ジローが死んだのは2006年12月だが、アンナはその翌年、2007年3月、突然いなくなった。アンナは給食のときにいつもいたので、いなくなるなんてことは考えもしなかった。そのうち出てくるだろうと思っていたが、そのままどこかに消えてしまった。

アンナはどこに消えたのだろう。アンナの毛皮のシルクの手触りは、まだ私の手の記憶に残っている。


2014年6月7日土曜日

猫サンクチュアリ年代記 10:父と息子あるいはカンパパとカンジ


猫サンクチュアリの周囲には、飼い主のいない猫たちに食事を与えてくれる家が何件かある。カンパパやカンジもそういう家でご飯を食べて生き抜いてきた。カンパパは礼儀正しい猫で、そういう家の人たちに評判がよかった。

カンジは私がはじめて会った時、二歳にもなっていなかったと思う。白地に黒トラの大きな水玉模様を乗せたような毛皮の、おとなしい雄猫だった。2005年の夏あたりから大猫サンクチュアリに来てご飯を食べるようになったが、2006年の8月ころから、雪と一緒に駐車場に移動した。

駐車場の雪に会いに、夜仕事が終わってから行くと、たいていカンジが一緒だった。二人は一緒にご飯を食べるほど親しかったようだ。カンジもまた、疥癬にかかったようだが、あまり人になれていなかったので、薬をあげることはできなかった。

2007年の1月に雪が大猫サンクチュアリに戻った時、カンジは一緒ではなかった。その後、カンジにあったことはない。

カンパパは、カンジにそっくりの大人の猫で、2006年の春あたりからよく会うようになった。大猫サンクチュアリに食事に来なかったとき、帰りに会うと、その場でご飯をあげていた。

カンパパは、晩年、何回も疥癬にかかり、そのたびに猫おばさんの一人が薬を上げていたようだ。2006年の12月のはじめ、給食の帰りにMさんに会うと、カンパパが十字路で寝ていて車に引かれた、と教えてくれた。

カンパパは非常に賢い猫だった。死ぬつもりがなければそんなところで寝るはずがない。しかも昼間に。なぜ彼が自殺したのかはわからないが。

アスファルトの道路の上に残された、乾いた小さな血の染み。今はもう何もない。

カンジがいなくなったのとほぼ同じ時期にカンパパも死んだ。何か関係があったのだろうか。